山門の人生の教示  見知らぬ人の挨拶にも丁寧に礼を返せ

 6月に入った。1日朝、夫婦が徒歩で天龍山洞雲寺を目指し墓参りをした。農道を通っていくと人に会うこともなく自然に触れることができる。時折、鶯のきれいな声が聞こえてくるので立ち止まって、何回も聞きながらどこにいるかと探すが、まずその姿を見ることはない。ゆっくりの往復に2時間ばかりかかる。

 洞雲寺山門の掲示は「見知らぬ人の挨拶にも丁寧に礼を返せ」であった。まことにいいいことばではなかろうか。お互いが行き合えば、「こんにちわ」「こんばんわ」「おようございます」「暑いですね」「寒いですね」などあいさつを交わすと、簡潔明瞭な言葉の中に人と人との触れ合いがある。

 特に、行き通う見知らぬ人とあいさつを交わした後に、よく家内から、どこの人、知り合いかと聞かれることがあるが、通りがかりの人でまったく知らないと答えることがある。こんな場合でもこちらが挨拶をすれば、必ずたいていの方があいさつを返してくれる。

 地域においては、知っている人か知らない人かは関係なく行き通う行き通う人と出会えばお互いに挨拶を交わして通り過ぎるのは普通である。声を掛け合うことは、お互いの心を明るくし、活力を与え、人間社会の潤滑油のようなものではなかろうか。見知らぬ人から挨拶されたら自然に笑顔で挨拶を返すと気分が良いものである。

 山登りをしていた時、細い一本道の坂では、降りる人はしばらく横にとどまり、下から登ってくる人に道を開けたり、行き通うときはあいさつを交わすのが礼儀のようなものであった。心に残る良風だと今も思っている。

 「 見知らぬ人の挨拶にも丁寧に礼を返せ」素晴らしい言葉である。

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《 令和2年6月1日 浜松市西区神ケ谷町 天龍山洞雲寺「見知らぬ人の挨拶にも丁寧に礼を返せ」

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《 眼下に開けた平野を見下ろし、田舎道を歩くと自然に触れる。》