昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【航空自衛隊レ-ダ-サイト】
《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》
* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。
【現在の感慨】
❶ 山田サイトの悪鬼征伐の大将像と大湊の白鳥の図案化は強烈で目を引くものがあった。
❷ 山田、大湊の両サイトが、昭和の時代から変わらぬデザインを継承継承しているところに部隊の伝統と一本筋の通ったものを感じひときわ目立つものがある。
➌ 大湊は昭和の時代、縁があってか交差訓練で訪れた。同期のコントロ-ラ-仲間に合えるのが楽しみで、千綿安次君の官舎に泊めてもらい旧交を温めたものである。当時、防衛の最前線において若く使命感に燃えていた時代だけに出張の折は相互に官舎で歓待し合って胸襟を開いて語り合ったものである。半世紀前の思い出は尽きないものがある。また、後年CSの部隊研修で大湊サイトを訪れる機会があった。
昭和の時代 第37警戒群 ( 山田) のシンボル・マ―ク
令和の時代 第37警戒隊( 山田)Emblem 出典 第37警戒隊ホ-ㇺペ-ジ
第37警戒隊紋章の紹介
第37警戒隊が所在する十二神山にはその名が示すように、薬師如来の願いを司る十二神将を祭る社があります。それぞれが昼夜十二の時、十二の月、十二の方角を護るとされています。
そこで私たちの任務に鑑み、この神々の中でも敵を征伐する鬼神、奈良法隆寺の金剛力士像で有名な伐折羅(ばさら)大将の姿をお借りして代表紋章としています。
昭和の時代 第42警戒群 ( 大湊) のシンボル・マ―ク
令和の時代 第42警戒隊( 大湊) 出典 第42警戒隊ホ-ㇺペ-ジ
制定:昭和47年
デザインの意味:陸奥湾に飛来する白鳥と下北半島及
びレーダー監視の様を図案化したもの。