1. 古代の森小國神社
去る6月25日は、静岡県袋井市の可睡ゆりの園、可睡斎参拝、ゆり膳についで、森町の小國神社を参拝した。
遠江国一宮小國神社には、新緑・紅葉の時期になるとしばしば訪れている。宮川の新緑・紅葉は川面に映り絵になり素晴らしい場所と言う印象が強い。
小國神社は、1450年もの歴史を持ち、何度訪れても老杉が繁る参道や境内は、まさに「太古の森」の名にふさわしい荘厳な雰囲気がある。社殿を囲んでこんもりもした大木が並び神社独特の雰囲気があふれている。参道に一歩入ったら両側に大樹が連なり冷気が漂いヒンヤリとした。
遠州の小京都と言われる森町にある小國神社は、その昔、小國大明神、または一宮様と呼ばれ親しまれてきたとのこと。
神社仏閣を参拝するとき、主義・主張・思想・信条などに関わりなく、神社では二礼二拍一礼、寺院では両手を合わして祈願する。この自然な姿、素直な気持ちが一番良い。
ここでも、家族とともに社殿に向かって拝礼をし、国家の繁栄、家内安全、病気快癒を祈った。
以前は本殿より奥の山道を登り本宮山へと往復した。険しい山道を家内と一緒に登ったことが思い出された。若さがあればなんでもできた。出来ることならもう一度挑戦したい。
2. ききょうの香勝寺
香勝寺は、天文14年(1545年)開山とされ本尊の白龍頭観音は功徳無量の観音として霊験あらたかと言われているが、境内にあるききょうをお目当てに訪れる人が多いようだ。このききょうは白龍頭観音のお告げにより植えられたといわれている。
私の関心は、ききょうより石仏像と和尚の一言の方が印象に残った。境内の至る所に和尚の一言があり、石仏像も表情がいろいろで良くできている。
ききょう園は有料であるだけに、蓮の花等はよいとしても観音様のお告げのように「ききょう」一本に絞り、どこにでも見られる他の花は一切植えないで頑固一徹、終始一貫する方が見栄えがし、仏様のありがたみが感得できるように思ったがどんなものであろうか。惜しまれてならない。
《 荘厳な雰囲気が漂う参道、一歩入ると冷気が感じられた。 》
《 小國神社本殿 》
《 切り取られた老杉の大木、樹齢何百年の歴史を刻む。 》
《 鹿苑山香勝寺、山門にて仏像に接し、頭を垂れ手を合わせて境内に入る。 》
《 ききょうのつぼみ、ききょう園をいろいろな角度から撮ったがここでは省略した。 》
《 香勝寺・夫婦円満は誉めあう事、すでに金婚となった者としては「しかり」とうなずく。》
《 香勝寺・どんなものにも命がある。生きとし生けるもの皆命がある。人は生きていればいいことがある。 》
《 香勝寺・玄関は安らぎへの関所なり 通行手形は「ただ今」なり。現役時代を問わず、「行ってまいります」・「ただ今」まさしく最高のことばだ。 》