浜ちゃん日記 新しいお祭りの創出

1.例祭の子供の参加

    近隣の法多山可睡斎、小國神社を巡っているうちに、子供のころに、郷里鳥取県湯梨浜町内の倭文神社伯耆の国「一宮さん」の5月1日の例祭が思い出された。

    毎年山越えをして、近隣の人々が集まり、数多くのお神輿が出たものである。とりわけ郷土宇野のお神輿が重く立派であったことが記憶に残る。

    私も小学生入学前だったか定かでないが、稚児で例祭に参加したことが誇りであった。お祭りに参加した実感が子供心にあった。

    大東亜戦争最中は、若者が出征し神輿を担ぐ人がいなかつたが、戦後復員した若者で賑わった。

   全国各地で鎮守の森、秋祭りなどが今も連綿として行われている。法多山可睡斎、小國神社然り、これら例祭に多くの子供が稚児として行列にくわわり、奉納舞に少女達が、笛や太鼓に参加している姿を見るたびに、子供の時代に一人でも多くの子供に体験して欲しいと願う。

    そこにはお金で買えない、学校で学べない、塾からも学べない、親から学べないものがある。その土地・地域からしか学べないものがある。

    その土地で育った人々が幾代にもわたって継承してきたものだけに、伝統文化でもあろう。

     家内も中学生のころ、浜松市神久留神社の例祭で浦安の舞を奉納したことがある。外孫達がその土地の例祭で太鼓を 叩いていると知って嬉しくなる。何でも良しだ、子供の頃にこうした行列、笛や太鼓などに関わったことが成人してからそのありがたさがわかるものである。

 

2.新しいお祭りを創り上げる

     かって自治会長をしたとき、まちづくり構想の中に、お祭りと並行して伝統文化の笛、太鼓の保存会の結成を目指したものである。体系化して継承することは大事なことではなかろうか。

    昔からの神社仏閣を中心としたお祭りや例祭はそのまま継承し発展させたいものである。日本人の心 と日本宝でもあるからだ。

    一方、宗教的な行事と全く関係のない、住民、特に、子供を中心としたお祭りを創り出してもよいのではないかと思う。

    お祭りと言うと、すぐにお金がかかるから止めよう言う。新しいこれからの時代は出来るだけお金をかけないで、新しい発想・やり方でお祭りを創り上げることであろう。新しい発想で新しい祭り文化を創りあげればよいではなかろうか。

    その主軸は、まさしく町民全員参加と子供中心のお祭りを創り上げることにある。

担ぐ・引く・叩く・吹く・声を出すなどの諸動作を存分に体験させることであ.。大人は手助けをすることを通じて子供と大人が一体となるお祭りができれは良い。

     やり方はいくらでもある。現職時代に全国各地のお祭りを見てそのような類いのものに出会ったこともある。

    昨年、浜松市神久呂幼稚園の夏祭りで手製の神輿を園児たちが担いで本当に楽しそうであった。「あっこれだ」と思った。一例として、このような手製の軽い神輿、新しい時代を取り入れた笛太鼓などだ。若い人たちがアイデアを出せばいくらでも出てくるであろう。

    これほど価値観の多様化した時代、少子高齢化時代にあって、新しいまちづくり、新しい伝統文化を築けないであろうか。老兵の夢であろうか。

 

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 《 平成26年6月 小國神社発行「玉垂」第41号、「舞楽・稚児の行列」による。森町は人口2万人程度の町であるが、小國神社の12段舞楽を含めて国指定重要無形民俗文化財の指定を受けた舞楽が三つあるとのこと。》

 

*  このブログは、午前発信したが、夕方スマホで確認したら誤字脱字、さては作成途中のものになっていたので、思い出しながら再作成した。いつもながらどうも自分のスマホの取扱い不良によるものであろう。