私の年賀状
数日前に年賀状を郵便局に行って出した。毎年のことながら12月20日前後になってしまう。
私が年賀状を交換する 相手は主として、親戚、小学・中学・高校等の同級生、自衛隊、自算会等現職時代の上司・職場の仲間・同期、地域の知人、関係団体の仲間など数百名である。
歳を重ねる毎に高齢・病気死亡等により枚数は少しは減ってきつつあり、喪中の挨拶状が多くなった。
それは私と同年代が多いせいか本人、親兄弟など身内の方の逝去によるものである。
また、現職時代は恩師には近況報告を兼ねて年賀状を差し上げていたが、多くは鬼籍に入られてしまわれた。自分が歳をとった事を悟る。
年賀状に託す感謝と近況報告
私が年賀状を出す理由は、 馬齢を重ねながらも今日の自分があるのは、私を育み、支えて下さった方々のお蔭であり、皆様に対する感謝と近況報告報告に尽きる。
そのことも年賀状を出せなくなるほどぼけて来ればかなわないことであるが、自分の頭と身体が動く限り、終生報恩の気持ちを年賀状という形で続けたいと思っているのである。
したがって、私にとっては年賀状は全く虚礼ではなく、新しい年を迎えるに当たって、自分が「お陰様で生きている」健在であることの証であり、年賀状を差し上げられることに大きな喜びを感じる。
自分なりの年賀状創り
私にとって、最近は「年賀状を書く」というより「年賀状を創る」といった方が気持にぴったりである。
今回は思いもしなかったがんとの闘いが始まったので近況を詳しく記し、内容に応じた自分の顔写真や風景などを入れてみた。
ある年までは、自筆を中心としたものとしてきたが、今は自分のパソコンを活用して、自分なりの年賀状を「創る」思いで作っている。
他所の借り物でなく、自作であれば芸術的なものでなくても、四苦八苦して創った年賀状だから満足している。
年賀状創りで思い浮かぶこと
年賀状創りの過程で、差し出す方の名前・住所を確認し、リストを作成する段階が最も心が高揚するときである。
一人ひとり、相手の顔を思い浮かべながら、本人との出会い、出来事、思い出などを回想しながら「この1年をどう過ごされたであろうか」と思いを馳せ、リストを確認・決定する。
もう一回は、年賀状の文面・宛先等の点検確認を終わってプリンターで打ち出したときである。一人ひとりの出合いや受け取られた時の様子を想像するときである。
《 パソコンを使って自分なりの年賀状を創った。正月でないと皆様に届かず失礼なので、上に一枚未使用のハガキをおいた。》
《 平成25年元旦の年賀状、左の余白に各人ごと添え書きをした。》