先日12月1日、午前菩提寺天龍山洞雲寺 に参詣し、墓参りをした。山門の掲示板12月は、「人生は平凡な努力の中にすばらしい宝が秘められている」であった。
80余年の人生を顧みるとき、この言葉の意味ががよくわかる。人生とはコツコツと小さな努力の積み重ねであるからだ。努力して全て報われるとは言えないが、これらは次に結びついていくものである。
若い時は平凡というということにあまり注目したり考えたりしないものある。どうしても強烈な激しいものに注目しがちであった。それは理屈を超えたものであったような気がする。
あたりまえのことであるが、長年の平素の平凡な積み重ねが実を結ぶようになる。これが自然の理である。長年の平凡な努力の積み重ねが大きな宝を宿していくものである。自分が認識したり感じていなくてもいつの間にやら素晴らしい素養・実力を身につけ、次第に内なるものが外に現れ、周囲から高い評価を受けるようになるものである。
平凡と思っていたことが、積み重ねによって非凡となることもある。これが人間の面白いところである。人生は一律ではなく各人各様である。個々の身体・精神・資質能力・性格・環境などすべて異なるからだ。
素晴らしい宝とは何であろうか。あらゆるものを指すといっても過言ではないように思う。これまた各人によって異なるであろう。
「人生は平凡な努力の中に素晴らしい宝が秘められている」、まさに人間の、人生の真理の一面をついた言葉でもある。