山門の人生の教示   人は誰でも負い目を持ち、それを克服しようとして進歩する

 8月1日朝菩提寺天龍山洞雲寺にお参りし、お墓に花をお供えしました。境内の蟬の合唱は猛烈でした。山門の掲示は、「人は誰でも負い目を持ち、それを克服しながら進歩する」でした。

 この言葉は、すぐる大戦、大東亜戦争におけるわが帝国海軍の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将・元帥の名言として広く知られているところのものです。

 ネットで調べてみましたら、山本五十六名言集なるものをまとめられているものもありました。青年時代から山本五十六提督の名言としてよく耳にしたものばかりでした。

 子供の頃であったが、大東亜戦争時及び敗戦時を知っており、青年時代に大東亜戦争史を学んだり、山本五十六提督の戦死など戦記を読んだりした者としては、素直にそのままの言葉として受け止めました。「山本五十六」に関する著書が書庫にあるはずですが、探し出せませんでした。

 人間は、体形容貌、性格、資質能力、身体機能、家庭及び生育環境、家柄資産、経済力などから学歴、職歴など同じではありません。同様に全てにわたって完全無欠な人間など存在しないのではないでしょうか。

 人それぞれ千差万別であるのが人間です。あらゆる面で、長所もあれば短所があります。短所、弱点、欠点、不足、劣等感、不具合や欠陥などはどれだけ自分が自分を自覚するかどうかによってかなり差が出てくるように思います。これらを自分が自覚し、克服しようと意欲を持った時に、総じて負い目、足らざるものとなります。

 人は誰でも負い目、足らざるものを持っています。しかし、自分に足らざるものは何であるかをどれだけ自分が自覚するかどうかによって、それを補い、充足、乗り越える努力をすることになります。

 負い目、足らざるものの認識の程度、強弱により、それを乗り越える精進、努力の度合いも異なって、長い年月の間に大きな差が出てまいります。

 自分に足らざるものを、懸命の精進、向上努力し、克服したとき、その人の人生が大きく変わってくるのではないでしょうか。

 負い目、足らざるものを克服して進歩発展すれば、限りない人生の喜び、充実感や幸福感を味わうこともできます。

 私たちの毎日の生活は、足らざるものを満たす努力の連続ではないでしょうか。子供時代、青年時代、壮年時代、熟年時代、最後の終活時代まで、いずれの時代、年代であっても、次なる足らざるもの、負い目の克服を求めて前進していく人生の旅路であります。なかなか味わい深い言葉でした。

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《  令和2年8月1日、浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺山門の掲示