山門の人生の教示   心に豊かさが出来てはじめて自然の美しさをそのままに味わうことができる

 7月31日朝、浜松市西区神ケ町にある天龍山洞雲寺の墓苑に自分が建立した墓へ詣でた。季節の花をお供えした。山門の掲示板には「心に豊かさが出来てはじめて自然の美しさをそのままに味わうことができる」とあった。

 まさに至言で、なかなか含蓄のある言葉であると思った。心が豊かであれば物事を真正面から見つめることができるからだ。自然の美しさ、花鳥風月をあるがままに眺め味わうことができるには、心に余裕がないとできることではない。

 どんなに忙しくても、心が落ち着かないとき、沈思黙考、心を静めるひと時を持つと見えてくるものがある。かって若いころ航空自衛隊幹部候補生学校在学中に一泊2日で京都府宇治市にある黄檗宗大本山の万福寺で座禅を組んだことを思い出した。その時以来、こころが落ち着かないときは、座禅には至らないが自室で静かに過ごすひと時を持つことにしている。

 最近、私は毎日朝晩散歩するように努めている。散歩することによって高齢期の脚力低下を防いでいる。生きとし生けるもの、生命の終末においては歩く、動く力が萎えてくるのが自然の摂理である。

 歩く、動く力があり、健康であると心も豊かになる。世の中を邪念や思惑を捨てて正しく物事を見つめることができる。自然の美しさを味わうことができる。ありがたいことである。

浜松市西区神ケ町天龍山洞雲寺山門の掲示  令和4年7月31日朝撮影

「 心に豊かさが出来てはじめて自然の美しさをそのままに味わうことができる」