昭和の航空自衛隊の思い出(446) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(1)

 昭和の時代は、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE}に掲載されたものである。

 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。 

 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されてきているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

【現在の感慨】

❶ 要撃管制官として、千葉県の南端・峰岡山の第44警戒群に勤務し、作戦運用に従事できる資格(OR)となってから、防空演習(ADX)のフェカ-(仮設敵機)係に指名されて、初めて笠取山サイトに行った。レ-ダ―のスコ-プ上に航跡を発見したとき、彼我不明機(UN)となる前に、統裁計画と照合し直ちに当該機をフェカ-(仮設敵機)と宣言する役割であった。

 経験の少なかった若輩に、どうしたことかこうした役割がよく回ってきた。錚々たる統裁部の先輩たちの話を聞く場を与えられ、鍛えられ成長していったことが強く印象に残っている。

❷ その後要撃管制官の年間交差訓練で笠取山サイトを訪れ、冬場の過酷な勤務環境も経験した。今は亡き部内幹部候補生の同期ギタ-の「古賀ちゃん」とみんなから愛された古賀健彦兄と酒杯を交わし、熱く要撃戦技・戦術戦法を語り合ったものである。 

昭和の時代 第1警戒群(笠取山)   のシンボル・マ―ク

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