昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。
今回から北部・中部・西部・南西の防空管制群を紹介します。
平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶ 各航空方面隊の作戦指揮の要となる防空管制群は、ADCCとして重要な役割を果たしていた。中部、北部のADCCは交差訓練で訪れた。研修のたびに航空方面航空隊司令官以下の鎮座するトップダイアスを見上げて、夢のまた夢であったが、若く燃えていたせいか、いつの日か指揮班の末席に加わりたいと思ったものである。
❷ 昭和の40年代から防空システムも手動から自動へと変わり、防空管制群に要撃管制機能が集中してきた。今や昭和の「要撃管制官」は「兵器管制官」となり、その役割は一層重要となってきたのではなかろうか。
➌ シンボル・マ―クの制定者とあるはデザインの提案者と解する。初期の段階はいろいろあるものである。
昭和の時代 北部防空管制群 ( 三沢)のシンボル・マ―ク
制定 初 代 昭和31年~昭和64年
平成の時代 出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ
制定 2代目 平成1年~平成17年
制定 3代目 平成18年9月~現在 出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ
3本の矢は、群本部・防管隊・警通隊を意味し、背景は、ネットワークを意味し、青色は紺碧の空を意味する。
平成18年9月北部防空管制群創設50周年を記念して変更された 。
令和の時代 北部防空管制群 ( 三沢) 出典 北部防空管制群ホ-ムぺ-ジ
昭和の時代 中部防空管制群 ( 入間)のシンボル・マ―ク
令和の時代
新しいシンボル・マ―クが制定されているようであるが、中部航空警戒管制団ホ-ムぺ-ジに掲載されていないため省略した。