昭和の航空自衛隊の思い出(453) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(8)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE}に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

【現在の感慨】
❶  北空サイトの稚内・網走・加茂・山田は訪れる機会がなかった。若い時代は要撃管制幹部として交差訓練で他のサイトに出かける機会があったが、総務人事幹部に転進したことからレ―ダ― サイトを訪れる機会が減ってしまった。
❷  奥尻は、空幕人事課人事第2班長当時に訪問した。奥尻といえば思い出されるのは、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した「北海道南西沖地震」である。平成5(1993)年7月12日午後10時17分12秒、。マグニチュードは7.8、推定震度6で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模といわれている。かって訪れたところだけに、地震津波の映像が目に焼き付いている。

➌ 加茂のシンボル・マ-クは、秋田県男鹿地方の『なまはげ』を主題に強く印象に残っている。知り合いの多くの要撃管制幹部が当サイトで活躍したことが思い出される。今は亡き、若いころ同じ内務班で切磋琢磨した教育幹部の第33警戒群業務隊長内野英昭君を思い出す。熱血漢で陣頭指揮と実行力に優れた幹部であった。

❹   昭和と令和の時代のシンボルマ-クを対比させてみた。用語の使い方からデザインとその意味など時代の変遷を読み取ることができる。

昭和の時代  第29警戒群 ( 奥尻)のシンボル・マ―ク

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令和の時代  第29警戒隊( 奥尻)Emblem  出典 第29警戒隊ホ-ムベ-ジ

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制定
1994年(平成6年3月)
意味
青:日本海のエメラルドグリーン
緑:豊かな森
矢:監視、通電、業務の各小隊
オジロワシレドームの上に乗って29警隊の盾を持ち
日本海を24時間監視しています。

 

昭和の時代  第33警戒群 ( 加茂)のシンボル・マ―ク

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 令和の時代  第33警戒隊( 加茂)のEmblem 出典 第33警戒隊ホ-ムベ-ジ

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 ~ 制   定 ~
平成21年
~デザインの意味~
秋田県男鹿地方には古くから人間の怠惰を戒める「なまはげ」の伝説があり、これをエンブレムのシンボルとした。
レーダースコープ中央に「なまはげ」を配置し顔の赤と黒は昼と夜を意味し24時間態勢を表す。手に持つ包丁を「33」にアレンジし電波に変え、近づく敵あれば、直ちにこれを粉砕するぞ!との強い決意を示している。