1. 人間の身体は歳相応になっていくものだ
来月は80歳・傘寿を迎える。よく人から「元気ですね」といわれることがある。「から元気だよ」と答えている。見かけはそうであるが、そうでないところが痛し痒しでもある。
毎日の生活で自分の歳を意識することはなかった。それは今まで通り普通に生活できたからであろう。何かをやるときには全く歳は関係なくやれたからだ。
それが、最近は自分の身体全体について、体力の衰え、持続性の減退、疲労感や回復力、ちょっとしたことで躓くなど「これはどうもおかしいぞ」と自分で認識することがある。
そこには身体全体における微妙な変化が感じられるかであろう。今までは老いることを他人の状況を見てそれなりに理解はしていたが、自分自身に特別の変化がないことから口で言うほど自覚しなかったといえる。
自分の身体を通して、「人間の身体は歳相応になっていくものだ」ということを自覚するようになった。
2.歳を重ねてもやれることはやる
歳相応に自分の身体にいろいろな変化が表れてきつつあるが、毎日の生活において特に制限をしたりすることはしていない。それは自然に、その内やりたくてもできなくなるときが必ずやってくるからだ。「やれることはやっておこう」ということにしている。
現在の毎日の生活で、身体を動かすきつい作業は少ない。ウオ-キングなどは一般的であるが、肉体的な労働も時にはやった方がはよいと考えて、出来る限り身体を動かす作業は積極的に取り組むことにしている。
昨日は午前、家庭菜園で耕運機を動かし畝を作った。結構疲れるものだ。午後は花美原会の会報「花だより」を編集・印刷し配付した。町内を配付に回ると大汗をかいた。疲れもあるが健康的で快適であった。
80歳・傘寿を迎えても、地域社会の活動や生活面で「やれることはやる」気概を持ち続けたい思っている。老いたりといえどもその気概を持ち合わせている間が「人生の花」が咲いている間でもあろう。