昭和の航空自衛隊の思い出(21) 自衛隊生活と安来節調

その時何を考え立ち向かったか      

    昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴ってみたい。
    自衛隊生活と安来節調」は、今から25・6年前の航空自衛隊の定年退官(平成2年4月)が近づいたころに記した所感である。

   自衛隊在隊間、郷土鳥取県の「貝殻節」とともにお祝いの席では島根県の民謡「安来節」を取り入れて即席の祝い唄を披露した。所詮真似事ではあったが、安来節の調子にその場の状況に合わせた即製の文句で唄うと喜ばれた。

   これは,私の「タイムカプセル」の「自衛隊生活と安来節調」である。

 

自衛隊生活と安来節調」

1.感動の安来節の練習

 島根県の民謡「安来節」との出会いは、昭和30年1月米子の陸上自衛隊に入隊し、新隊員教育を受けているときであった。厳しい野外訓練の合間にはお国自慢の唱を披露する機会が設けられた。

 数多い新隊員の中には社会経験の豊富な人もおり、のど自慢がいた。それは安来出身のÄ2士が張りのある美声で自慢の「安来節」を聴かせてくれ、その素晴らしさに感動した。

 その後、郷里鳥取で親戚の結婚式の席上では必ずといっていいほど、「安来節」が唄われた。とりわ姉の唱は素晴らしった。

    一つものにしてみようと思い、帰郷のたびに酒席では関心を持って耳を傾け練習に心掛けた。

2.来賓としての安来節祝い唄へ

 部内出身の幹部として少しづつ昇進し、職場の部下の結婚式に主賓として参列する機会が多くなるにつれ、安来節でお祝歌を披露すると大いに受けることが多くなった。

    そこで、いつの間にか、宴会等では一番だけ正調で歌い二番以降はその場の雰囲気やメンバ-の顔ぶれ見て、箸の紙片に即席の文句をメモし、安来節調で自前の歌を披露するようになった。

 これらの文句は宴会の主旨や参加者の好み等に合わせて作っただけに共感を呼んだ様に思った。

3.安来節調に助けられた自衛隊生活

 正調「安来節」からはかなり外れたが、唱は自分なりにこなして、楽しく歌うものだとの信念からきたものであった。結婚式であれば新郎新婦の船出を心からお祝い、送別会、定年退職等では長年の御苦労と輝かしき業績に思いをはせて歌詞をつづることは楽しいことであった。

 「安来節」に助けられた自衛隊生活34年であったように思える。女房は浜松生まれであるが、鳥取県の民謡「貝殻節」、島根県の民謡「安来節」・「関の五本松」等々は長年の夫婦から自然に覚えてしまったようだ。

安来節 

安来節演芸館の説明の一部から抜粋)

 「安来節」の起源は、徳川中期。大正から昭和にかけて、全国的に知られる民謡として花開きました。風光明媚な安来地方の環境と素朴な人間味あふれる風情の中で培われた「安来節」は、唄のほかにも「どじょうすくい男踊り」「女踊り」「銭太鼓」などの演芸も有名で、中でも「どじょうすくい男踊り」は、そのユーモラスな顔や動作から全国的に大人気を博しています。