わが神久呂  感動の神久呂幼稚園卒園式

1.感動の卒園式

 3月17日午前浜松市西区神ケ谷町にある浜松市立神久呂幼稚園(園長小木愛子先生)の卒園式に来賓として参列した。今回の卒園児は22名で申し分のないほど立派な感動を呼ぶ卒園式であった。

 お母さんたちの多くが涙している様子を見て、人間の素晴らしさ、親子の情愛の深さを感じた。最後に子供たちが「ありがとう 心を込めて」を唄ったが、いい文句だ。わが子の姿を見ながら生まれてからの子育てを振り返ればうれし涙がこぼれるのも自然なことである。

 かって勤務した自衛隊の各種の修了式・卒業式でも新入隊員、曹・幹部の課程修了者等対象は異なっても厳しい教育訓練であればあるほど感動があるものだ。よくぞここまで乗り越えてきたという高揚感と充実感がみなぎっていればいるほど印象に残る忘れがたいものとなる。どの社会でも苦労があればあるほど同じである。

 今日の卒園式は、園児たちにとっても成長していく過程で大きな肥やしとなるであろう。

 卒園式・卒業式は式典の一つである。厳粛な中にもいかに感動を呼ぶものを作り出すかはしっかりと練られた脚本と演出があり、登場する人々をうまく組み合わせて初めて感動を呼ぶものである。そこは幼稚園児が主役だけに大変な苦労があったと推察する。園児たちはかなり練習したであろう。それも教育の一環であり良い経験である。園長と担任先生にとってもここ一番の腕の見せ所である。

 それにしても3年間、とりわけ最後の1年間の内容のある行事があってできることである。卒園式の始まる前に3年間の園児たちの活動状況をビデオで見させていただいた。園児の成長に合わせたしっかりと内容の充実した行事が企画実行されていた。卒園式を通じて日本の幼稚園教育の素晴らしさを再認識することができた。

 

2.よく練られた卒園式

 担任の三宅奈美先生は、司会・ピアノ等を何役もこなしていたが見事であった。幼稚園の卒園式は人生でたった一回きりである。子供の心には焼き付くものがあるはずである。写真・映像があれば将来その思い出は倍加される。その点今の子供たちは幸せだ。

 私の感じたことをまとめてみた。

❶ 卒園式は担任の先生たちがしっかりした脚本を作り上げ、一人一人の園児を主役にしていく演出は大変な作業であったと見る。担任先生と卒業園児の合作・共同作業ともいえる。会場内の配置・式次第の流れと構成が一段と創意工夫・研究された跡が見られた。

❷ 園児が名前を呼ばれて小木愛子園長から修了証書をいただくとき、一年間よくできたこと、頑張ったことなどその子の優れた事柄を短い内容で披露していたがすばらしいことである。どの子にも伸びる未来がある、暖かい励ましの言葉でもあった。

親にとっても第三者が見た自分の子供の良いところを知ることになるものである。

❸ お別れの言葉と歌の中で、一人一人に発表させながら進めたのは素晴らしかった。どの子もしっかりと発表した。あれだけの歌を唄いつつよくできたと感心した。

    私も子供ってあんなに成長していくものだと忘れかけたものを思い出させてくれた。3年間の間に成長しみんな自信に満ちた顔、しっかりした礼、歩行態度など印象的であった。

 

〇 私にとっても、今期でシニアクラブ神久呂連合会長を交代するので地域の式典に参列するのはこれで終わりとなるであろう。自治会長、シニアクラブ会長と何回も感動をもらってありがたいことであった。

〇 人生は感動する心があるうちは大丈夫な気がする。何事にも感動したりしなくなったときはぼつぼつ人生の終末が近づいたことの黄色や赤ランプとみなしてよいのではなかろうか。 

 卒園式のプログラム 

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《小木愛子園長の修了証書授与を一人づついただいた。そのあと親の元へ証書を手渡した。

 

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 《お世話になった先生方、育てた園児は希望に胸をふくらまして巣立つ 》

 

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 《 手塩にかけたわが子を見て去来するものは深い感慨と感動、親のうれし涙 》