本当に忘れてしまう
昨日は封書二通を投函した。同期生会、同級会に参加の返事を出していたが、がん再発のため今後諸検査・入院が予定されていることから、できるだけ迷惑をかけたくないので不参加の旨を伝える手紙を認めた。
歳を重ねるにつれ、すぐ返事をすることにしているが、他の予定との関係でついつい返事を伸ばしていると、本当に忘れてしまい主催者からの電話で恐縮することがある。
自分なりに手帳にメモしたり、予定表にその都度記載しておいても忘れることがある。かなり気をつけていてもタマにはポカをすることがある。若いころは絶対そのようなことはなかったのに恥ずかしい思いをすることがある。
すぐに返事を出す
会合等の案内は、往復はがきの場合が多いので返事がしやすい。近況等の便りや転勤の挨拶状をいただいた時は、返事をすぐに出すことにしているが、何かの事情で筆をとらないでいるとそのままになってしまうことがある。
現職時代は、はがきをかなり手元に置いて、はがき等をいただいたら、直ちに返事をすることにしていたが、今は緊張感に欠けて我ながら恥じることがある。78歳という歳のせいにして甘えているところがあるかもしれない。タイミングを逸すると出しそびれることにつながってしまうものだ。
自筆に勝るものはない
手紙を出す用件があったりすると、出来る限りパソコンを避けて、筆ペンで内容を認めることにしている。筆ペンも文字が上手であれば良いが、そんなことは関係ないことを悟る歳になった。
いただく側からすると、パソコンによるどんな名文よりも短い簡単な文面であっても自筆に勝るものはないからである。
現職時代は、硯で墨を磨って、毛筆で文面を認めることにしてきたが、退官後はいつの間にやら筆ペンに代わってきた。毛筆だと姿勢を正し精をこめて認めるので、墨の濃淡、筆の勢いで自分の気持ちが自然に相手に伝わるように感じたものである。
日本一短い手紙
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の一文は、本多重次が天正3年(1575年)の長篠の戦の陣中から妻にあてて書いた手紙である。
本多重次は、戦国時代から安土桃山時代にかけての徳川氏の家臣であった。また、この「お仙」は当時幼子であった嫡子仙千代(成重・後の丸岡藩主)のことである。なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」と言われている。
この手紙は、簡潔明瞭にして、伝えたいことを的確に表現していると言われている。お世話になったら自筆のはがき一枚に「ありがとうございます」と認めるだけでも、十分に相手に伝わるのが直筆の強みである。
自筆は心が伝わる
自筆は、内容が簡単なものであろうが、ベン、鉛筆であろうがこだわることはない。相手から頂く便りも自筆であると、文字の癖を昔と比べたり、筆の運び、強弱、大小、文字の形特徴等から現在の心境や健康状態、生活環境など些細なこともその中で感じ取れるものがある。
自筆はまさしく、その人そのものが凝縮されているようで、文字の上手、下手など全く関係ないものだ。自筆は心が伝わる。