昭和の航空自衛隊の思い出(130)  総務人事幹部としての初部隊勤務

1.整備補給群本部総務人事班長

 昭和43年8月末中部航空警戒管制団司令部人事部に席をおいたまま、第3術科学校における第32期人事幹部課程(昭和43年8月7日~同年11月29日)を卒業した。

 43年12月5日付で隷下部隊で入間基地に所在する整備補給群本部総務人事班長に指定された。ここでは、44年7月1尉に昇任し、翌45年1月から4月まで幹部学校の幹部普通課程を履修し、つぎは45年5月基地業務群本部人事班長へ配置されることになる。約1年6月の勤務で実質1年2月であった。

2.整備補給群と総務人事班長の位置づけ

 整備補給群は、群司令のもとに群本部の幕僚と直轄部隊は整備隊、補給隊及び車両器材隊の3個隊から成っていた。

 群本部は総務人事班のほか数個班あったが、群司令を総務人事の分野で直接補佐する役割で、新任の人事幹部課程を修了した幹部にとって、最も適した配置であった。

 総務人事幹部なり立ての初度配置・人事管理としては、定石のようなもので現場における総務人事のすべてを経験できるポストである。それだけにやり甲斐のある職務であり、指揮官の補佐の仕方等と幕僚勤務を学ぶに一番適した配置であった。

 多くの総務人事幹部が3尉で初任の勤務であるのに対して、すでに、要撃管制幹部として最前線で勤務してきたこと、団司令部副官を経験したこと、年齢的には33歳で古参の2尉であったこと、司令以下隊長の人柄等は副官勤務を通じて承知していたことなどから思う存分勤務をすることができた。 

2. 幹部として初めての総務人事業務に挑戦

 事務屋にならない決心と料理・味付けの幕僚作業に専念

 人事幹部課程を卒業した時に決心したことがある。指揮官を補佐する幕僚・総務人事幹部であって、机にへばりついて法規を楯にして仕事をする「事務屋に絶対ならない」ということであった。基礎資料の作成は担当空曹に存分に腕を振るってもらうことにした。足らざるところを補足して、基礎資料を活用して料理と味付けの幕僚作業に専念することにした。

❷ 現場に進出して隊員の顔と名前・担当職務を覚えた 

 初級幹部ではないことから机に向かうのは半分にして総務人事業務は迅速にかたずけてもっぱら、時間があれば、各隊の現場に出かけてどんな仕事をどのようにやっているのか観察と勉強に出かけた。警戒管制部隊のことは全部理解できたが、整備補給群という部隊は全く未知の世界であったからだ。

 総務人事班長という職務は人事担当であることから、どこに行っても歓迎された。どの部署であろうと積極的に受け入れてくれて、主要幹部や隊員が説明してくれた。  

 着任早々は各隊の任務機能の理解と隊員全員の顔と名前・担当職務を覚えることを主眼とした。何回も訪れ、だんだん慣れるにつれて隊長からは個別の要望を賜ることが多くなった。隊員一人一人の顔と名前、担当職務と現場の様子がすぐに浮かぶようになった。

 普段から現場に出向いて、自分の五官・感を働かして状況を把握し、確認し、問題点と改善を要する点はないかを考察した。「隊員を知る」には現場で働いている状況を見させてもらうことに努めた。出来れば直接会話をすることにした。見えないものが見えてくるから不思議だ。このやり方は定年退官まで可能な限り信念を曲げずやり遂げた。

❸ 群司令に対する幕僚補佐

 部隊の規模に関わらず群本部は司令部機構の小型版であり、司令部の監理部、人事部の業務を担当している。群司令の庶務的事項や来客の応対など一切である。

 群司令に対しては所掌業務に関して積極的に報告し、司令室に入る回数は一番となっていった。職務の処理自体は実務能力の向上に努めた結果、自信がついてきた。司令の意図の把握・確認に努め、積極的に諸計画を作成し、具体策の着実な実行を図った。

 副官の経験から、不明な点は遠慮することなく、いつでも直接司令に確認して実行した。指揮官と幕僚との関係は良好なものを築けたように記憶している。高級指揮官の副官をした経験からどんな指揮官に対しても、気後れすることなく自ら懐に入っていく度胸がついたことに感謝した。

3.群司令及び各隊長等

 昭和43年12月着任した当時の整備補給群の主要幹部は、群司令藤沢五六2佐、整備隊長水本清3佐、車両器材隊長萬谷暢英1尉及び補給隊長升田鼎3佐であったと記憶している。藤沢司令以下隊長は優れた指揮官ぞろいで、各隊の連携と団結は強かった。

 総務人事班長は藤沢司令の副官的な役割も果たしていたが、常に信頼してくださった。総務人事幹部として初の部隊勤務であり、最初の指揮官であっただけに感激し、以来在隊間はもとより退官後に至るもご教導・ご厚誼をいただいた。とても温厚で部下思いの方であった。正月には全幹部が押しかけて御馳走してくださったことなどが強く印象に残っている。

f:id:y_hamada:20150417230618p:plain 《 昭和43年12月中部航空警戒管制団整備補給群幹部一同、群本部総務人事班長に配置されて間もないころの記念写真と思われる。写真で各幹部の皆さんの顔を拝見すると半世紀前のことが思い出される懐かしい一葉(枚)である。》