昭和の航空自衛隊の思い出(128)  人事幹部課程へ入校

1.第3術科学校人事幹部課程に学ぶ
 昭和43年8月7日~同年11月29日の間、第3術科学校へ入校し、 第32期人事幹部課程を学んだ。学校長は奇しくも私が整備学校総務課に配置になった時の石原格太郎将補(総務課長当時2佐)であった。学生は、15名で幹部自衛官9名(学生長大泉邦彦(部外7期)・足立定雄・濵田喜己(部内23期)・松下勝美(部外37期)・山崎章(部外48期)掛水盛光(部内38期)・小玉晃(3候13期)・山本義人(3候13期)・渡辺正則・元松和夫の各氏)、幹部事務官6名(小峰秀雄・後藤建二・古田多美男・古橋豊峯鶴・遠山宏・清和俊彦の各氏)であったように覚えている
 学生長は大泉邦彦1尉であった。出身期別は様々であった。事務官は幹部配置であった。
 時の第4科長は、第8代の古舘明2佐、幹部課程主任は東峰義光3佐であった。
    学生生活は、極めて楽しく、人事業務の習得に努めるとともに夜の芦屋の町を楽しんだ。学生生活の最大の収穫は 人事幹部相互の絆を大いに深めることができたことであった。特に事務官仲間との連携が密になった。これがその後の自衛官人生において有形無形に助けられることに繋がっていった。
 人事員課程及び人事幹部課程の同期が全国の第一線の各部隊・機関の人事担当として活躍しおり、後年、各級司令部の人事幕僚として活動するに際して、相互の意思疎通・協力支援の面で活きてきた。
2.   人事幹部課程の特色
 人事幹部課程の内容は、人事・総務業務に関わることが主体であった。人事業務を主体に総務関連の内容を取り入れていたように記憶している。
 遥か昔のことであるが思いつくままに列記してみると、組織・編制、公務員制度・人事管理制度、任命権・補職・経歴管理、特技制度・証明、服務規律・服務指導、勤
評制度、懲戒処分、栄典制度、初任給・俸給制度、勤務時間管理、人事記録・報告システム、事務官等人事管理、人事・総務諸計画の作成ほか文書の作成・管理、礼式・服制制度、秘密保全、広報・渉外等、会計業務、厚生業務などであったように記憶している。
 要するに、人事または総務幹部として、部隊・機関における初級幹部としての専門職域の基礎的事項を付与する課程であった。第一線の現場部隊に総務人事班長として勤務してみて極めてバランスのとれた教育内容であり、後は実務経験を積んで自己啓発して発展させることが大切であると認識した。
 ここでの課程修了者の大部分のものは、各級部隊等の本部勤務者、とりわけ人事業務に従事することになり、その役割・立場の自覚と誠実・謙虚な行動が強く求められた。
 3.母校の教官となって後輩の育成に携わる使命
 昭和34年の人事員課程、43年の人事幹部課程と両課程を卒業した。時代の推移と共に課程内容の改善がはかられているが、当然のことながら両課程の教育内容の違いなどもよく分かった。
 こうして初級課程と幹部課程を履修して現場の実務経験と各級司令部人事幕僚の経験を積み、指揮幕僚課程を卒業後、再度司令部の幕僚勤務を経て、13年後の昭和56年再び母校の第19代第4科長として教官・教育責任者として教育現場に着任することになった。
 そこには人事業務に従事する運命の糸に導かれるように後輩の人事総務教育が待ち受けていると内なる使命があるように感じた。
 従って、第3術科学校での約2年間は、部隊等勤務で培った精神・知識・経験・ノウハウを伝授すべき総決算との思いが強く、幹部・上級人事員・初級人事員・総務通信教育・上級空曹要務・教育技術の各課程など、精魂を傾け全力投球して「指揮官を積極的に補佐する人事総務幹部の育成」、「作戦運用と一体となった人事管理」「部隊等の実務に役立つ教育」に打ち込むことになった。
 このブログで、私が最も書きたいと思っていることは、この教育現場と司令部人事部長時代のことであるが、まだまだ先のことになるので、ゆっくりぺ-スで進むこととする。  

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 《 第32期人事幹部課程(昭和43年8月7日~同年11月29日)入校式後の記念撮影、前列は学校長・副校長・総務課長・教育部長・4科長及び教官陣で、学生は後列2列に並ぶ。 》
  
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 《 第32期人事幹部課程の部隊研修、最前列左から小玉晃・山本義人・渡辺正則・東峰義光課程主任・学生長大泉邦彦・小峰秀雄・後藤健二・遠山宏、後列左から古田多美男・足立定雄・古橋豊峯鶴・濵田喜己・山崎章・掛水盛光・清和俊彦・松下勝美の各氏 》