昭和の航空自衛隊の思い出(133) 幹部普通課程のもたらしたもの

1.幹部普通課程の履修

 昭和43年12月、入間基地に所在する中部航空警戒管制団整備補給群本部総務人事班長に配置された。2尉を5年6月在級して昭和44年7月1尉に昇任した。翌45年1月から4月まで東京市ヶ谷基地の航空自衛隊幹部学校(第11代校長今村博純空将)において第40期 幹部普通課程(SOC)を履修した。

 入校学生は105名で、1尉102名、2尉3名で最高年齢38歳から最低29歳、平均32.7歳であった。私は間もなく 35歳に差し掛かろうとしていた。学生の構成は、防大・部外・部内・航学など出身期別様々であった。

 課程の目的は、「幹部自衛官としての資質を養うとともに、中級の指揮官及び幕僚として必要な知識及び技能を習得させる。」であり、教育内容は、防衛基礎、指揮、幕僚活動及びび防衛力の運用であったように記憶している。

 防衛力の運用については、要撃管制官として最前線で任務についてきたので、極めて関心が高く、防空作戦はもとより、情報、通信電子、後方などと応用研究で幅広いものを学ぶことができた。

 特に開眼したのは、「戦史」で戦場の実相、指揮・統御の在り方などについて、航空作戦史をひもとき当時の時代に身をおいて考察することができたことであった。これがきっかけで大東亜戦史につて自学研鑽するようになった。

 学生は基地内の学生舎に起居した。実質的学生長は入間基地の同じ官舎地区に居住していた中空司令部訓練班の佐藤守之1尉であったように記憶している。佐藤氏は第1航空団基地業務群司令等を歴任し定年退官後、浜松市議会議員選挙に挑戦し見事当選して元自衛官議員として活躍し大きな業績を残された。  

 

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《 幹部普通課程、小生は前から3列左から5人目 》

 

2.歴史の舞台となった市ヶ谷台

 現在は市ヶ谷といえば防衛省である。ここでは、市ヶ谷台ツア-があり、市ヶ谷地区内に所在する庁舎や極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷となった大講堂などを移設・復元した市ヶ谷記念館を見学することができる。

 昭和45年1月から4月まで、当時の東京市ヶ谷基地の航空自衛隊幹部学校で 幹部普通課程(SOC)を履修した当時の庁舎などは市ヶ谷記念館に移設・復元されている。

 入校した当時、一番興味を引いたのは、本部庁舎と極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷となった大講堂であった。大講堂での入校式や卒業式ではどの辺に裁判長・判事席、被告席が設けられていたのか、庁舎前での記念撮影など歴史の舞台となった数々のシ-ンを頭に描きながらその場に立ち「ここがあの場所か」と感慨無量であったことを覚えている。

 当時は短期間の入校でゆっくり見学することはできなかったが、2年半後に再びこの由緒ある市ヶ谷台に航空自衛隊幹部学校へ入校し第21期指揮幕僚課程学生として1年間学ぶことになるとは夢想だにしなかった。

 

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《 市ケ谷台の幹部学校 》

 

3.幹部普通課程に学んでの心の芽生え

 幹部学校における 幹部普通課程(SOC)に入校し、入校学生105名と航空自衛隊の精鋭1尉が一堂に会した。しかも防大・部外・部内・航学等と出身期別様々の集合体であった。いろいろな面で刺激を受けた。

 総務人事幹部として、心に秘めた四つの命題も自分の進もうとしている方向もこれで良しと確信するようになった。いろいろな会話の中でそれとなく指揮幕僚課程(CSC)が話題となり多くの幹部が目指していることを知るようになった。

 それまでは、CSのことは全く頭の中になく、自分にとっては曇り上のことで無縁のものと認識していた。周囲でも部内幹候出身者が受験することはごく少数であったように記憶している。その背景は1尉へ昇任し所定の年数を経たころには年齢等から受験資格がないといったことに起因していたように記憶している。

 幹部普通課程入校を機会に、心に秘めた四つの命題に取り組み本格的に施策等を実現するには、単に現場で努力するだけはなく、それなりの実力・識見技能を高め、施策等の立案に参画・寄与する階級と配置・職位につくことが必要であることも認識するようになった。

 指揮幕僚課程(CSC)選抜試験の受験資格を調べてみると、昭和44年4月から3佐又は1尉2年以上、年齢39歳未満であった。1尉の在級年数と年齢から1回だけ受験できる機会があることを知った。この時点でわが胸中にひそかに「1回だけでも挑戦してみようか」という淡い思いが芽生えたのであった。このような難関に挑戦してみる人生があってもよいのではないかと思うようになったがひそかに胸中にしまった。

  当時、部内幹候出身者でCSを卒業した者は指折り数えるほど聞いていた。旧軍の陸軍大学校海軍大学校に相当するといわれていた航空自衛隊の最高学府である幹部学校の指揮幕僚課程(CSC)選抜試験に挑戦してみようかというきっかけを幹部普通課程の履修がもたらしたのであった。