神原町シニアクラブ(神原会)( 329)   会報の発行と6月定例会・輪投げ大会の開催

 神原町シニアクラブ(神原会)(会長濵田喜己)の定例会・輪投げ大会は、6月14日実施します。これに伴い情報連絡紙「いきいき神原会」で開催をお知らせすることなりました。コロナの感染拡大が依然として続いていることから、今まで以上に防止対策を徹底して実施します。

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浜ちゃん日記 浜松にやってきた、ブルインパルスの飛行訓練(1)

 ブルーインパルス浜松基地に移動訓練でやってきた。

 航空自衛隊の第4航空団第11飛行隊の「ブルーインパルス」は、5月31日(月)から6月4日(金)まで、浜松基地で移動訓練を実施する旨の浜松基地から飛行訓練のお知らせが自治会を通じて町内に回覧された。本格的な訓練飛行は、6月1日から3日までで、1日2回、40分程度の訓練のようである。

 今日6月1日は午前10時と午後1時頃から訓練が行われた。午前は快晴であったが雲が多く折角描いた円が惜しまれた。午後は一点の雲もなかったが基本隊形の飛行であった。

 昨日は新型コロナのワクチン接種を受けた。少し接種をした部位に痛みがあるので神妙ににしておこうと思い、書斎にこもってパソコンでシニアクラブの諸作業をしていたが、ジェット音が聞こえてきたので、自宅付近から飛行訓練を眺めた。

 午後は自宅付近ではカメラに収めることができないので、運動を兼ねて自転車で浜松基地の近くに行き訓練飛行を撮影した。

 ブル-インパルスは、浜松基地が発祥の地であり、昭和35年(1960年)5月に第1航空団に「空中機動研究班」として発足し、「特別飛行研究班」の改称を経て、昭和40年(1965年)11月に「戦技研究班」となった。

 創設期のメンバ―は、私の同期である第1期操縦学生淡野徹君、西村克重君、藤縄忠君であった。当時の階級は2等空尉で、昭和39年(1964年)10月10日東京オリンピック開催初日、メインスタジアムである代々木国立競技場上空の澄み切った青空に、見事な五輪のマ-ㇰを描く歴史的な偉業を成し遂げたものである。

 こうしたことから「ブル-インパルス」と聞くと、若かりし頃の同期生の雄姿が浮かび、86歳になってもどうも血が騒ぐようで、ワクチン接種の痛みは吹っ飛んでしばし飛行訓練を眺めることになった。

❶ 6月1日午前の訓練    自宅付近から撮影

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《 わが家から見た浜松基地上空 》

 6月1日午後の訓練  浜松基地外西端から撮影

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元自衛官の時想(128) ワクチン1日接種100万回の大戦略を貫け

 今日午前にコロナウイルスワクチン接種の第1回を受けた。80歳以上の高齢者の接種である。ありがたいことである。

    地域の個別接種の指定医療機関及び集団接種は予約の初日から満杯であった。

 指定医療機関ではないが、2カ月ごとの定期診察を受けているかかりつけのクリニックでも接種が受けられるようになり、今回実現したものである。

 お昼近くの指定時刻の30分前に行き、所定の手続きと医師の説明の後、接種を完了、経過確認のための待機をして全く異常なく終了した。

 当クリニックは、私のグループは12名で、全員15分前には集合完了し、円滑に実施された。第2回目の接種は3週間後である。

 シニアクラブの該当者の多くは先週から今週、来週にかけて、第1回目のワクチン接種が終わるようで、かなり接種率も上がるようである。

 新型コロナウイルスへの対処は、4月15日のブログに次のように所信を述べてきた。

元自衛官の時想( 123) 新型コロナウイルスの第4波と変異種を制する大戦略はワクチン接種を一刻も早く、一人でも多く接種することである

「わが国における新型コロナウイルスの現状は、諸般の状況と各地のコロナ感染症の発生の様相から総合的に状況判断して、第4波と変異種の来襲と受け止めている。 今後の感染拡大阻止の決め手は、最終的にワクチン接種の進捗にかかっていると判断するものである。」

 ワクチン接種については、菅義偉内閣総理大臣は、「65歳以上の高齢者接種を7月末完了」と明言し、「一日100万回接種」を目標に掲げた。

新型コロナウイルスの第4波と変異種を制する大戦略は、ワクチン接種を一刻も早く、一人でも多く接種することである。そのための行動方針が「高齢者の7月末接種完了」と「一日100万回接種」である。

 未曽有のコロナ非常事態における対処の大戦略は、コロナから「全国民の生命を守る」ことであり、「ワクチン接種を一刻も早く、一人でも多く接種する」ことである。そのため「7月末」と「100万回」であった。 

 きわめて明確な方針と目標である。国家の最高責任者たる内閣総理大臣は鉄石の信念と意思を持って、国家機能の集中と全力発揮をさせれば、必ずや大戦略を成功させることができるであろう。今や一日50万回を超えるところまできた。

 いろいろな批判、攻撃、妨害に屈せず、万難を排して大戦略を果敢に遂行してもらいたいと思う。この大戦略を成功させるに必要な国家の基本的仕組み、法令、国民意識などは脆弱であるが、日本の国力、国民性からすれば、この国難を乗り切ることは可能である。

 コロナ対処、ワクチン接種だけでもわが国の基本問題点は明確になってきた。思い切った実行策を取れない様々な阻害要因も浮き彫りになってきた。

 幾多の極めて困難な諸問題が横たわってあり、国家の根本的な課題を、ぜひ次の衆議院議員選挙の争点にしてもらいたいものである。

 どんな国家体制であっても、困難な事態への対処の鍵は、トップリ-ダ-・最高指揮官の「コロナに勝つ」ここ一番の度胸、断固としてやり抜く意思と手腕、指導力と実行力にかかっている。菅義偉内閣総理大臣におかれては、ぜひとも大戦略をぶれることなく、断固として対処方針と目標を貫き通してもらいたい。 

 国民にとっても、国難とも言われるコロナ対処、ワクチン接種を通じて、諸外国と比較しながら、国家とは何か、何が必要なのか、何が欠落しているのか、今後どうすべきかが明白となった。

 コロナはまさしく、「日本はこのままでいいのか」と国家・国民に大きな課題解決を問いかけているのではなかろうか。

神原町花の会( 花美原会 )(444)  ポピーの整理を中心とした花協同活動

  神原町花の会は、5月30日午前8時から15名が参加して約1時間20分、ポピーの整理を中心とした花協同活動実施した。快晴の下、作業は円滑に進みポピ-を全部整理した。

 今年のポピ-は例年に比べて開花が遅れたが、きれいに咲き神原の里を彩った。中日新聞静岡新聞、読売新聞、NHKでも取り上げられて多くの人たちに楽しんでいただきました。

 花美原会が管理する花畑は、年2回ポピ-とコスモスを咲かせ、花摘み体験に開放しています。

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86歳老いる雑感(186) 昔風の頑固親父はどうなったであろうか、現代の親父は?

 歳を重ねるにつれて、自分はどんな親父・父親であったであろうかとふと思うことがある。振り返ると、「自分の親父・父親と同じようにやってきたなあ」というのが実感である。

 今更、妻、子供、親戚、周囲の人達にどのように受け止められたかを考えても始まらない。今までと同じで、普通の親父・父親で終われば良いと思っている。

 今回は、親父・父親像について触れてみたい。

❶   昭和時代の頑固親父を中心とした「寺内貫太郎一家ホームドラマ

 昭和時代は頑固親父を中心としたホームドラマが流行ったことがある。その一つに、昭和49年(1974年)にTBSで放映された「寺内貫太郎一家」は時代を反映する最後の代表的なドラマであったように記憶している。

 戦後の昭和の時代、30年代から昔風の頑固親父がいなくなった影響もあったのであろうか。ドラマは時代を反映すると言われる。ドラマになること自体が、頑固親父の影が薄くなり社会全体に頑固親父を懐かしむ心情が背景にあったように思われる。

 ドラマは、主人公寺内貫太郎の小林亜星さん、妻里子の加藤治子さんが演じた一家の物語であり、原作向田邦子さんであった。

 東京で3代続く老舗の石材店を舞台に古き良き時代のカミナリ親父を中心とする一家と、彼らを取り巻く隣人たちの触れ合いを描いたホームコメディが好評であった。

 外面は「頑固親父」でも実は愛情細やかで、家族や隣人を大切にする「頑固親父」であった。

❷  令和の時代に「頑固親父」はいなくなったのか

 時代は平成、令和と移り変わり、「頑固親父」が登場するドラマはなくなり、「頑固親父」の存在や「頑固親父」と言う言葉が全くと言って良いほど使われなくなった。たまに、商品の販売に「田舎の頑固親父の作った」などが使われる程度となった。

 昔から「頑固オヤジ」がいて、寺内貫太郎一家に代表されるドラマ以前にも結構取り上げられたであろうが、昭和、平成を経て令和の時代に入って、本当に「頑固親父」はいなくなったのだろうか。

 時代を反映して、「頑固親父」は消滅し、みんな「優しい親父」に変わったのであろうか。そんなはずはないように思う。昔風の「頑固親父」は少なくなったであろうが、人間そのもの資質や性格の遺伝子はそんなに変質するはずはないからだ。

 戦後の家族制度、大家族から小家族への変容の上に、時代が昔風の「頑固親父」を歓迎しない風潮から頑固親父が少なくなったことは事実であろう。

 そのことをさらに突き詰めていくと、家族制度、家長の権威と役割、男女平等、家族のあり方、隣近所との付き合い、助け合いの変容が背景にある。特に父親に対する社会や家族の期待感が大きく関係しているように思われる。

 そこには、父親と母親との関係、父親の立場と存在、夫婦の関係が変容してきたようように思われる。また、一家の「父親」の存在、役割に対する受け止め方はかなり変わってきたように思う。

 現代は、大家族を率いた親父・父親の存在がなくなったことにより、小家族の「物分かりの良い親父・父親」に変わってきた。

現代における親父・父親のあり様

 家族における親父・父親の存在・役割をどのように見るかによって、昔の「頑固親父」についての受け止め方も異なってくる。

 実は「頑固」という言葉に惑わされていた面が大きいのではなかろうか。誰もが家族を持てばいつしか、親父・父親になっていくものである。

 人の性格などは「十人十色」と個人個人によって異なる。頑固な性格の人もいれば、物分かりの良い人もいる。「頑固」を一貫して筋を通している、信念を曲げない人と見るか、柔軟性が欠けた、時と場所をわきまえない人と見るか、さまざまである。

 自分自身を顧みると、頑固親父であった自覚は一切ない、親子だけの小家族・核家族で、夫婦の役割分担も世間と同じであっように思う。普通の父親であったと思っている。

 時代と歳を重ねるにつれて、家族のあり様、夫婦の関係、親子の関係も変わってくるものだ。時代は進展している。現代は信念を秘めて柔軟性に富む、物分かりの良い親父の姿が映えてきているように思えるがどうであろうか。

 親父・父親たる者、そんなに気負わないで無理をせず、自然体で父親の役割を果たし、子供には親父の生き様を見せることによって学ばせれば良いのではなかろうか。

 また、夫婦の関係もお互いの信頼によって役割分担も自然に決まってくるものである。家庭は夫婦が協力し合って作り上げるもの、男女同権と殊更に強調することでもないように思う。

 

 

神原町シニアクラブ(神原会)( 328)   次のリ-ダ-の養成と世代交代

 今日は、市老連監事として令和2年度会計監査で、本部に出かけた。三人の監事で収入支出決算書及び諸帳簿を点検確認し適正であると認めた。私の会長不在のため、午後の神原会の金曜会は副会長の指導下で円滑に実施された。

 組織にとって、どんな場合でも斉々円滑に行事が実施できることが必要である。特に副会長の活躍の機会が少なくなってしまうので、時折、会長不在も組織の活性化と次のリ-ダ-の養成には不可欠で特段の配慮が求められている。

 当会には、次年度に会長の交代、副会長の会長昇格を予定しており、会長の職務と業務内容について、その都度、一緒に行動し円滑なバトンタッチができるように努めている。会長の不在もこうした面では、副会長にとって会長代行の絶好の機会ではなかろうか。

 今日も監査会で話題となった一つに、単位クラブの休会等があった。その要因の一つに会長たるトップ・リ-ダ-の成り手がなくて休会等となる現状がある。 

 会長の世代交代は、80歳代を主体とした組織の高齢化が急速に進む中だけに、組織の活性化と少しでも若い年齢層の会員加入につなげるチャンスでもあるが、理屈通りにいかない現実がある。悩ましい課題である。

 どの組織にも共通することであるが、トップ・リーダーに求められるものは、諸活動への情熱、先頭に立って活動する気構えと体力・気力、名誉ではなく積極的な奉仕の誠心ではなかろうか。

 特に、端末の組織のリーダーには、情報社会の進化に伴いパソコンやスマホが使える能力が必須となってきた。昔のように顎や口だけで組織を動かせる時代は過去のものとなってきた。自らがパソコンやスマホを駆使して組織を動かす時代となったからである。