86歳老いる雑感(186) 昔風の頑固親父はどうなったであろうか、現代の親父は?

 歳を重ねるにつれて、自分はどんな親父・父親であったであろうかとふと思うことがある。振り返ると、「自分の親父・父親と同じようにやってきたなあ」というのが実感である。

 今更、妻、子供、親戚、周囲の人達にどのように受け止められたかを考えても始まらない。今までと同じで、普通の親父・父親で終われば良いと思っている。

 今回は、親父・父親像について触れてみたい。

❶   昭和時代の頑固親父を中心とした「寺内貫太郎一家ホームドラマ

 昭和時代は頑固親父を中心としたホームドラマが流行ったことがある。その一つに、昭和49年(1974年)にTBSで放映された「寺内貫太郎一家」は時代を反映する最後の代表的なドラマであったように記憶している。

 戦後の昭和の時代、30年代から昔風の頑固親父がいなくなった影響もあったのであろうか。ドラマは時代を反映すると言われる。ドラマになること自体が、頑固親父の影が薄くなり社会全体に頑固親父を懐かしむ心情が背景にあったように思われる。

 ドラマは、主人公寺内貫太郎の小林亜星さん、妻里子の加藤治子さんが演じた一家の物語であり、原作向田邦子さんであった。

 東京で3代続く老舗の石材店を舞台に古き良き時代のカミナリ親父を中心とする一家と、彼らを取り巻く隣人たちの触れ合いを描いたホームコメディが好評であった。

 外面は「頑固親父」でも実は愛情細やかで、家族や隣人を大切にする「頑固親父」であった。

❷  令和の時代に「頑固親父」はいなくなったのか

 時代は平成、令和と移り変わり、「頑固親父」が登場するドラマはなくなり、「頑固親父」の存在や「頑固親父」と言う言葉が全くと言って良いほど使われなくなった。たまに、商品の販売に「田舎の頑固親父の作った」などが使われる程度となった。

 昔から「頑固オヤジ」がいて、寺内貫太郎一家に代表されるドラマ以前にも結構取り上げられたであろうが、昭和、平成を経て令和の時代に入って、本当に「頑固親父」はいなくなったのだろうか。

 時代を反映して、「頑固親父」は消滅し、みんな「優しい親父」に変わったのであろうか。そんなはずはないように思う。昔風の「頑固親父」は少なくなったであろうが、人間そのもの資質や性格の遺伝子はそんなに変質するはずはないからだ。

 戦後の家族制度、大家族から小家族への変容の上に、時代が昔風の「頑固親父」を歓迎しない風潮から頑固親父が少なくなったことは事実であろう。

 そのことをさらに突き詰めていくと、家族制度、家長の権威と役割、男女平等、家族のあり方、隣近所との付き合い、助け合いの変容が背景にある。特に父親に対する社会や家族の期待感が大きく関係しているように思われる。

 そこには、父親と母親との関係、父親の立場と存在、夫婦の関係が変容してきたようように思われる。また、一家の「父親」の存在、役割に対する受け止め方はかなり変わってきたように思う。

 現代は、大家族を率いた親父・父親の存在がなくなったことにより、小家族の「物分かりの良い親父・父親」に変わってきた。

現代における親父・父親のあり様

 家族における親父・父親の存在・役割をどのように見るかによって、昔の「頑固親父」についての受け止め方も異なってくる。

 実は「頑固」という言葉に惑わされていた面が大きいのではなかろうか。誰もが家族を持てばいつしか、親父・父親になっていくものである。

 人の性格などは「十人十色」と個人個人によって異なる。頑固な性格の人もいれば、物分かりの良い人もいる。「頑固」を一貫して筋を通している、信念を曲げない人と見るか、柔軟性が欠けた、時と場所をわきまえない人と見るか、さまざまである。

 自分自身を顧みると、頑固親父であった自覚は一切ない、親子だけの小家族・核家族で、夫婦の役割分担も世間と同じであっように思う。普通の父親であったと思っている。

 時代と歳を重ねるにつれて、家族のあり様、夫婦の関係、親子の関係も変わってくるものだ。時代は進展している。現代は信念を秘めて柔軟性に富む、物分かりの良い親父の姿が映えてきているように思えるがどうであろうか。

 親父・父親たる者、そんなに気負わないで無理をせず、自然体で父親の役割を果たし、子供には親父の生き様を見せることによって学ばせれば良いのではなかろうか。

 また、夫婦の関係もお互いの信頼によって役割分担も自然に決まってくるものである。家庭は夫婦が協力し合って作り上げるもの、男女同権と殊更に強調することでもないように思う。