昭和の航空自衛隊の思い出(449) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(4)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE}に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介します。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

 

【現在の感慨】

❶   要撃管制幹部時代の交差訓練先は中部航空方面隊及び北部航空方面隊のレーダーサイトが中心であった。また、CS卒業後の西部航空方面隊司令部の人事幕僚時代は、航空団等の訪問だけで西警団の離島等のレ―ダ―サイトを訪れる機会はなかった。時を経て西部航空警戒管制団司令部勤務となり、人事部長として離島部隊を中心に全部隊を訪問した。離島サイト勤務の計画的な異動交流に関する隊員の要望と声は、実に悲鳴に近いほどであった。全力を傾注して離島サイト交流の推進に当たったことが昨日のようによみがえる。

❷   福江島及び見島の部隊訪問は船で渡った。離島サイトの現状確認に努めたものであった。見島では鬼凧に魅せられて記念に購入したことがあった。最近、終活でいろいろなものを整理していたら「見島の鬼凧」が出てきた。現在家に飾っている。各部隊とも地域の特色を生かしたシンボル・マ―クが印象的であった。

 

昭和の時代 第15警戒群(福江島) のシンボル・マ―ク 

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令和の時代   第15警戒隊(福江島)     出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ

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昭和の時代 第17警戒群(見島) のシンボル・マ―ク 

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38年ほど前の見島の鬼凧

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令和の時代   第17警戒隊(見島)   出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ

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