老いる雑感(66) 自分のことは自分で始末する

1   84歳になった     

満84歳となった。亡き両親の歳を超えて1〜2年経った。こうして毎日ブログを書き、シニアクラブの責任者として動き回ったり、カラオケ・写真など趣味の面でも楽しんでいる毎日である。祖父母の時代からすると高齢と長寿の世の中になったとはいえ、元気に毎日が過ごせることに感謝している。

2  亡き両親に感謝

    昔から「身体髪膚これ父母に受く」という。「元気な身体に生み育ててもらってありがとう」と心の中で何回もつぶやいています。人生には色々な難関があるものだ。病気もその一つである。70代になって癌を2回も患ったが、何とか乗り越えて今日あるもまさしく両親から受け継いだ身体のおかげであるように思う。

3   家族に感謝

   毎日の生活は、子供孫達を含めて元気であることが一番の幸せであるように思う。晩年は平凡な生活が何よりである。静かな中にもやりたいことがやれる。これなどは家族の協力無くして成り立たないものだ。

    夫婦が元気であること、とりわけ、50年以上連れ添った妻の存在と支えが大きい。これまた感謝の一語に尽きる。

4   人生の終末

    ふと人生の終末を考えることはあっても、常に樂観的で自分の寿命や明日のことなど全く頭の中にないというのがいつわざるところである。いくつまで生きられるか分からないが、その時が近づけば、きっと体力・気力などから、己の寿命を悟ることになるであろう。

5    自分のことは自分で始末する

    確なのは、人間どんなに元気でもいつかは介護される状況となったり、自分のことを自分でできなくなる日が必ずやってくることだ。これは生きとし生けるものの自然の摂理である。

   このため、毎日心がけていることは、出来るだけ自分のことは自分で始末することである。元気なうちにやれることはやっておきたいという思いが強い。老いてはきたが、今はまだまだ自分のことは自分でできる状況にあるからだ。

6   身辺の整理

    今日、明日どうこうなるわけではないが、身体が動くうちに身辺の整理を行なっておきたいという気持ちがここのところ一層強くなった。

    従前と違って、ただ考えておくではなく、即実行に変わってきた。自分でも驚くぐらいの心境の変化である。毎日の日課として時間を見つけては、本腰を入れて雑誌・資料類の破棄を行っている。これには家内が一番驚いているようだ。

7    急ぐことはない  

    ここまでくると、そう急ぐことはないとの心境である。目標を持って毎日を過ごしているが、体調に合わせて暮らしている。食欲は旺盛であるから、むしろ抑えることに努めている。

人間食べられるうちは大丈夫との考えである。

すべからく急がないで、ノンビリ、ポツポツで進むことにした。

8  当面の処理作業

   当面の対象物は、自衛隊在隊間の書籍と資料類である。それが終わったら退官後から今日までの分だ。その時代ごとに整理・処理してきたが、成人になってから約65年分のいろいろなものが溜まっているから破棄を始めたらきりがないくらいだ。

    処理の基準は、未だ一度と使わなかったもの、これからも使わないと思われを破棄処分の対象にして選別している。ここで判断・決心したものは絶対に曲げず、躊躇することなく、思い切って処理することにしている。中途半端や再利用など考え出したら元の木阿弥である。多少荒っぽいこれくらいが一番良いようだ。