84歳老いる雑感( 77) 亡き両親の夢を見る

1    「故郷」の合唱と思い出

  シニアクラブの毎週の金曜会では、懐かしの歌合唱の最初は「故郷」が定番となっている。この歌詞が毎回、望郷や両親を思い出させてくれる。

    通信カラオケで歌詞と画面は、大型のテレビに映し出し、全員で合唱することにしている。

歌っているうちに、故郷の山並み、子供の頃駆け巡った山野や両親の顔がダブってくるせいか、汗腺が緩みかけてふと気を引き締めることがある。

    壮年時代のように意気揚々と気力が充実してどんな困難にも立ち向かえるぞと元気があった時代は遥か昔となってしたったが、80代半ばで歌う「故郷」は格別である。合唱しながら各人がそれぞれの思いを描いているのではなかろうか。

2   亡き両親を夢に見る

    末っ子だった私が80代となると  5人の兄姉のうち90を過ぎた姉1人になった。両親の元に生まれた身内が少なくなると寂しいものだ。

    亡き両親の人生を超えるところまで来ると、同じ年代になって、親の目線から見た自分はどうだったかと振り返ることがある。

    時代は異なるが、親の立場から見るものは大体同じだったのではなかろうかと想像している。現役時代にあれもこれもしてあげたがったと思うことがあるが、叶うことができない。

   今だったらかんでもしてあげられるのに、「孝行したいときには親はなし」とはよく言ったものだ。若い時代や壮年時代は働き盛りで、直接的な孝行はしてこなかったように記憶している。人生とはこんなものかもしれない。

   昔から「身体髪膚父母に受く」はこの歳のなるとよく分かる。癌など大病を患ったりしたがお陰で乗り超えた。両親の歳を超えてから見えなかったものが見えるようになった。

    ときおり、両親の夢をみることがある。夢の中で両親に会えるのだからありがたいことである。心配かけないように元気で晩年を過ごしたいと思う。