老いる時想(40) 歳をとることと老後の生き方

1.  歳をとることと病気

    現役時代は、健康についてさほどな不安・心配をしたことはなかったものだ。70歳を過ぎてから不整脈から始まって心房粗動でカテーテル手術、さらには、腎盂がんによる片方の腎臓と尿管の摘出、ついで膀胱癌による手術を行った。そうした中で、自治会など地域のこと、同期生会のこと、シニアクラブのこと、花の会のことなどをやり遂げることができた。

     35年余の自衛隊生活、定年退官後の自算会及び日本損害保険協会の交通事故相談所勤務を終えて、年金生活と自治会活動に入って数年後にいっぺんに大きな病を背負うことになったが、何とか克服できた感じである。人生は油断大敵、これからも何がやってくるかわからないものだ。

    若い時代には考えたこともなかった、「歳をとる」ということがどんなことかが、自分がそれなりの歳になってみてわかるようになった。    

    いつの間にやら、そうこうしているうちに、83歳となり「亡くなった両親の歳を超えた。親はこんなこんな風に見ていたんではなかろうかと、ふと思うことがある。その歳になって見えてくるものがあるからである。

2. 生かされた命と報恩の念

 近代医学と医療技術がなければ、とっくにあの世へ行っていたことは間違いないであろう。そうした意味では現在も生きていることは、お陰様で「生かされた命」そのものであると言って過言ではないであろう。

 一命をとりとめた前後は、いろいろと人生を深刻に考えたが、のど元過ぎれは暑さを忘れるの如く当時のことは忘却の彼方となっている。元気になると歳月とともに「生かされた命」であることも薄れ、「当たり前の命」であるかのごとくふるまっている。こうした点では人間はあまのじゃくであるが、反面、かえってそれがよいのかもしれない。

 そうかといって、「当たり前の命」とふるまっているようで、実は「生かされた命」として神仏に対して感謝し、自分を取り巻く皆さんや社会に感謝している。いつまでも報恩の念を持ち続けたいと思っている。そのことが「自分にできることはないか」と常に思う気持ちが根底にあり、現在の生活のばねとなっていることは間違いない。

3. 人に役立つ生き方

   よく「元気ですね」と言われることがある。「歳相応でカラ元気です」と答えることが多いが、2月1回の定期検査と診断などで循環器関係のクリニックに通院しているが、平均からすると通院回数は少ない方かもしれない。薬は毎日夕食後に1錠高血圧とコレストロ-ルを下げる薬を服用している。これも服用種類と数からすると少ない方かもしれない。

 昨今は体力などかなり落ちたが、「自分にできることはないか」と自分に問いかけると「まだまだ役立つことがあるかも知れない」と思っている自分がいることに驚くのである。

 どのくらい生きられるか全く予想もつかないが、天運に任せる以外にないであろう。80歳路を歩む今日の願望は、寝込まないで自分のことは自分ででき、自分のためにやっていることが、ポランティア活動に繋がり人様に役立つことが出来れば幸いであると考えている。

 老後の生き方に定石・定型があるわけがない。社会の規範の中で自分の思うとおりに生きれは良いのではなかろうか。