山門の人生の教示  布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる 

    6月1日早朝6時、浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺の山門に立って、掲示板の「布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる」「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」を拝読して、墓参りをした。

❶  布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる 

  「 布施 うばい合えば足りぬ わけ合えばあまる」この世における人間の本性でもあり,実相でもある。人間は、狂・凶・狭と理・浰・李の両面をを持ち合われているのではなかろうか。

   非常災害時における食糧など救援物資一つをとりあげても、我れ先にと奪い合えば足りないし、分け合えばあまることになる。自治と規律が保たれて、共助し合えば足りる。布施の心は人の心の中にあるものではなかろうか。

 小学生の頃、大東亜戦争が敗戦となり、食糧難の時代に、両親はおいしいもの、手に入らないものなどをいただいたら自分たちは食べずに必ず持ち帰り、子供たちに分けて与えてくれた。少量であっても子供心に満足感を与えてくれたものである。親とはそうゆうものである。

 子供の頃、我が家の軒下に燕が飛来するころになると、燕の子供は親がえさを運んでくると一斉にくちばしを開けてえさを待つが、よく観察すると順番に平等にえさを与える姿に感動したものである。

❷ 天には豊作を願い 手は耕し続けよ

 「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」、田植えが始まった。天に豊作を願う傍らしっかりと水田を耕し苗を植え付け、炎天下で除草をして育てて初めて実り豊作となる。

    人間の精進・努力に対して、天地は恵みを与えてくれる。世の哲理でもある。すべての作物はどんなに機械化されて来ても、人が手塩にかけた愛情で育てたものに勝るものはない。美味しいお米、果物しかりである。手抜きをしたものを天地は見抜き、やはりそれだけのものであることを知る。

 すべからく天地や神仏への願いに対して、自らの精進・努力なくして、その願いが達成されることはない。

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《 天龍山洞雲寺山門の掲示「布施 うばい(奪い)合えば足りぬ わけ(分け)合えばあまる」》

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《 天龍山洞雲寺山門の掲示「天には豊作を願い 手は耕し続けよ」》