山門の人生の教示 苦しむとき仏は近くにあり

11月1日、御墓参りをした。こうしたお寺に近づけるこはありがたいことである。人生八十年以上を生きてきたが、特別に経典を学び、悟りを開いたわけでもない。これが普通の人の姿ではなかろうか。

    無理に善人や悪人になることはない。普通に暮らすことが一番の生き方であるように思う。

晩節を汚すなという言葉がある。また、平々凡々という言葉がある。家庭を築き、子供を育て、社会人として仕事を果たし、人並みに人生を歩んだことが人として大きな役目を果たしたことになる。

    普通に暮らせて、静かに晩年を迎えられることに感謝している。がんとの対決もあったが、これとて自然の成り行きで生き延びている。運があったかもしれない。若い働き盛りの時代と違って、新しいこと、理想に向かって精進することもできないが、落胆することもない。これがわが人生である。

    人間、悩みが尽きることはない。あの世に行くまで尽きることはない。贅沢しなければなんとか、普通に暮らせる。これで満足している。

    人間、手を合わせて感謝することに尽きるように感じている。菩提寺に詣でてお参りし、御墓まいりできることは幸せと言える。神仏は自分の心の中にあるのではなかろうか。

 

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