天龍山洞雲寺参道の人生教導の石碑(4) 頭は低く 目は高く 心は広く

 菩提寺である浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺 には、毎月1日と15日の2回,同寺に詣でて墓参りをしている。

 参道の片側には、昭和の30年代に設置された石碑が15個建っている。檀信徒から寄進された石碑で,表面に人生の諸々の教導の言葉が銘されている。その裏側には寄進者名と建立年月日が刻まれている。

 仏様の教えでもある。日常生活における誠に含蓄のある教導の言葉である。

 墓参りの都度,立ち止まって読み返すことにしている。歳を重ねるにつれて同感することばかりである。

 わが人生を振り返り,残された人生の道標としている。

❹ 天龍山洞雲寺参道の人生教導の石碑

「頭は低く 目は高く 心は広く」

[所感】
   「 頭は低く目は高く心は広く」いい響きで素晴らしい言葉だ。

 「頭は低く」は,腰が低いということである。全ての人に対して威張らず誠実謙虚な態度で接することであろうか。世に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がある。

 自衛官を定年退職して,自算会調査事務所勤務のとき,ヒラの損害調査員,やがて,課長、所長として各所を訪問した折、高い地位,職務の方ほど誠実謙虚に対応してくださることを経験した。なるほどと思ったものである。

 「目は高く」は,視野を広くして,大所高所から物事判断し,行動することではなかろうか。

 現代は,情報化社会である。メディア情報一つにしても,情報量が多すぎて、真偽を見極めることが重要となる。鵜呑みをしないことである。見る目を高くして、大所高所から適切に情報を取捨選択し,物事や考え方,判断の参考にする必要がある。

 「心は広く」は、おおらかで周囲の状況や他人の言動をよく見て受け入れるということではなかろうか。

 心が狭いと,相手を信用せず,ミスを許さない,軽蔑する、何かにつけて攻撃するなど協調性に欠けてくるものだ。俗に言う「度量が広い」人になりたいものである。

 顧みて、86年の人生の教訓は、人間無理をして聖人君子になることもない。 

 常に心がけていることは,頭を低くして、威張らず,謙虚に接すること。目線を高くして,全体を見る。心を広くして他人に接することではなかろうか。

 他人からどのように見られているか,どのような評価を受けているかなど気にしないで,普通に接し,普通に行動し、普通に暮らせば良いのではなかろうか。