昭和の航空自衛隊の思い出(65) 目指す幹部自衛官像への修練と実践

1. 軍隊における将校像 

   古来、各国軍隊における将校、指揮官及び幕僚については、長い民族の歴史に培われた将校のあるべき姿・将校像があるものである。旧日本軍隊においても海軍兵学校五省など実に素晴らしいものがある。いつの世も「将校・士官の道」「人としての正しい道」を説いたものは、時代を越えて共感を呼び魂を振るわせるものではなかろうか。これらは共通して簡潔明瞭にして至言である。軍隊における指揮統率の本質を突いた普遍的なものであるからであろう。

    自衛隊においても、創設以来、自衛隊法等、訓令達等に基づき陸・海・空の任務特性と長い歴史と伝統を踏まえた指揮官及び幕僚に求められる資質・能力が確立し、指揮幕僚教範、教育要綱等で明示されている。

 これらを具現し、自衛隊が国民の負託にこたえるため、幹部自衛官の修練の目標を設定し日々精進することを期待することは当然のことである。

五省海上自衛隊幹部候補生学校で、良き伝統として受け継がれている。

 *五 省​

 

一 至誠に悖(もと)るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕

二 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕

三 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕

四 努力に憾(うら)みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕

五 不精に亘(わた)るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕


五省は昭和7年、当時の海軍兵学校長 松下 元(はじめ)少将が創始したものです。

松下校長は、将来海軍将校となるべき兵学校生徒の訓育に意を用い、日々の各自の行為を反省させて明日の修養に備えさせるため、5ヵ条の反省事項を考え出し、これを日々生徒に実施させました。

その方法は、毎晩、自習終了5分前になるとラッパの合図を鳴らし、生徒はそれによって自習をやめ、机の上を片づけて瞑目静座し、当番の学生が五省を発唱し、各自心の中で反省するものでした。

幹部候補生学校となった今も、学生の本分に照らして自らを反省し一日を終えるため、良き伝統として五省を継承しています。

出典:海上自衛隊幹部候補生学校ホームページ

 

2.目指す幹部自衛官像 

 昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部の教育訓練に励んだ。

    私は、陸上自衛隊の新隊員教育、航空自衛隊おける操縦学生、整備学校における勤務を通じて、その折々、部隊指揮、教育指導、凛々しい服装態度などから「このような幹部自衛官になりたい」と思い、自分なりに目標像を描いていた。更に、部内選抜試験を受験するにあたっては、自分がなりたい幹部自衛官像を固めていった。

   わけても、創設期の整備学校においては、多忙を極める学校の主要幹部が課業時間外に献身的に受験指導までしていただいたことは終生忘れ得ぬ思い出である。

   特に、当時、学生隊長の高野国彦2佐からは、論文(作文)の作成について誠意あふれる熱心な指導を受けた。  

 単に幹部自衛官になりたいから部内選抜を志望するのではなく、「選抜試験に挑戦して、将来、何を目指し、やろうとしているのか」、「貴君の描いている幹部自衛官像はこれでいいのか、将来、どんな幹部自衛官になって、何をやりたいのか」と、若者の淡い夢と希望、イメ-ジを論文(作文)の作成を通じて、自分の考えを深く耕し、肉付けし、骨格を固め、目指す幹部自衛官像をしっかりと胸中に秘めることが出来る機会を作ってくださったように覚えている。

 後年、部隊勤務経験を重ねながら、本当の指導の狙いは、小手先の受験指導ではなく、ここにあったのだと理解し感謝した。教育指導はかくあるべしと多くの教示をいただいたことに気付き、じ後の後輩、隊員の指導に活かしていった。

 

3.幹部自衛官像の基礎の確立

  幹部候補生課程の入校間の教育訓練は、私にとって「幹部自衛官のあるべき姿・理想像・目標像」を体系的・理論的・実践的なものにする基礎を確立することができた。

   当時、描く理想像は大きかったが、部隊経験、指揮経験が少ない未熟な幹部候補生であった。入校間、厳しい教育訓練を通して、あるべき幹部自衛官の道を学ぶことによって、自分自身の中にさらにしっかりした大黒柱を建てることができた。

   こうした状況のもとで候補生教育は、まさに幹部自衛官として進む道の基礎を与えられ、「幹部自衛官の宣誓」につなげる準備期間であり、胸中に使命感が満ちあふれる幹部自衛官への第一歩であった。

 

4.幹部自衛官像への求道・実践

 卒業後は、自衛隊を退官する日まで、幹部候補生当時に打ち建てた大黒柱を固めつつ、様々な部隊等勤務を通じて「幹部自衛官のあるべき理想像・目標像の実践」に向かっての修練の日々であったような気がする。ふり返ってみると、幹部自衛官に任官して以来の自衛官生活は、任務と向き合いながら「あるべき幹部自衛官像への求道・実践」であったともいえる。

 偉そうに求道と書いたが、人間は生身の身体だ。鉄人でもない。ごく普通の人間であるが、自衛官生活は、時と場所を選ばず命をかけてやらねばならない任務が待ち受けている。

   厳しいが、己が選んだ道あり、それが自衛官の任務・職務である。生身の身体であっても、その時代、与えられた階級・任務・職務に応じて、優れた指揮官・幕僚を目指した「あるべき幹部自衛官像への求道・実践」の日々であった。

 

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《 ある日の7区隊 左から【1列目】*村田隆・上野寿郎・*菅信介・猿渡久雄・井嶋柳一・区隊長・*濵田喜己・矢野幸男・中村順一、【2列目】津山敬史・本郷敏廣・高畑賢一郎・上田正三・佐藤文夫・*熊谷邦之助・福迫光治・関良知・【3列目】乗富魁男・杉山衛・木崎剛・園田顕二・中瀬薫・小野田正一・菊池通裕・日下与志雄・橋本昌和斎藤隆男・秋山達郎・長田乾・杉本晃庸の各氏、*印は第1期操縦学生出身4名 》 

 

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 《 ある日の6区隊 左から【1列目】川村修・増本繁・工藤哲男・光永康人・木村衛・区隊長杉山3佐・*山田繁・福田正美・古賀健彦【2列目】柴森博彦・*宝官賢治・氏岡登・芳賀啓行・井口茂人・荒川洋一郎・橋本峰夫・浜田耕司 【3列目】米塚光雄・真鍋仁久・中島孝・(前)*千綿安次・(後)*猪膝康二・(前)*高橋洋・(後)永滝雄二・有田周治・栗林庄蔵・前田勲・中村克己・岡崎竜一・二宮務・坂井健次・*恩田守の各氏、*印は第1期操縦学生出身6名