浜ちゃん日記 静岡自賠責調査事務所令和5年OB会へ参加

 12月15日、正午から自宅を出てバス、普通電車を乗り継いで静岡へ行き帰りは新幹線を利用した。コロナ禍で4年ぶりに再開された静岡自賠責損害調査事務所令和5年OB会(17:15〜19:15)へ参加するためであった。参加者は17名、付き添い2名で、筆者は最高齢者・最古参となってしまった。

 33年前の平成2年(1990年)4月、航空自衛隊を定年退官した。全く畑違いの損保業界の自動車保険料率算定会(現在の損害保険料率算出機構)自賠責保険の損害調査を実施している調査事務所に入所した。

 退官に際して、第二の人生は自衛隊とは全く関係のない新しい仕事に挑戦し、自分を試してみたかったからである。調査事務所の所員は、多業種の定年退職者が主体で、今までの役職・地位に関係なく、平所員から出発するところに特異性があった。

 採用試験は、静岡市の商工会議所の試験場で、適性検査、筆記試験及び面接試験であった。多数の応募者から幸い入所することができ、退官の翌日から勤務に就いた。

 浜松に自宅を建設・永住することを決意し、浜松から静岡の事務所まで普通電車で通勤した。当時の電車は4人掛けの対面車両であった。

 同期入所は4名で、損保出身2名、警察出身、自衛隊出身各1名であった。新入所員の教育システムは素晴らしく、課長のほか新人教育担当の助教を配置して、丁寧かつ熱心に損害調査員として実務教育を受けながら現場等調査を重ねて、書類を作り3ケ月以内で独り立ちできるようにしていった。助教に指名される方は、将来の課長、所長と目される優秀な所員が指名されていた。

 静岡では一般調査業務を終えた後、医療調査業務について特訓を受けた。こうしたことで入所の一年は電車の行き帰りは教材を紐解いて知識と技能の習得に専念した。

 入所一年後、浜松調査事務所勤務となり、新たに後遺障害担当を命ぜられた。したがって、入所2年間は、一般調査、医療調査、後遺障害認定業務を取得していったので、かなりハードであったが、課長、所長となったとき得難い経験となり活きてきた。  

 数年の後、後遺障害認定課長、一般調査課長を経て、静岡と沼津調査事務所の統合を行う特命を受けて、静岡調査事務所長として着任し、1年間の準備期間を経て統合を達成し、大人数の新静岡調査事務所を発足させた。

 こうしたことで静岡は、第二の人生の出発点であり、統合事務所を立ち上げる厳しい任務を達成した場所であった。統合後の安定した事務所作りの後、再び浜松調査事務所長として勤務した後退職、日本損害協会の浜松交通事故相談所長として2年間勤務して現役時代を終了した。第二の現役人生は充実した毎日であったことに感謝している。

 今回も、現役の静岡調査事務所長の現況を拝聴したり、お互いの近況を話したりして有意義な時間を過ごすことができた。

 次回は、お互いに高齢者であることから、日曜日の昼間の時間帯に開催することが提案され了承された。多数の参加者と元気に再会を約して散会した。