わが趣味活動(84) カラオケの練習と健康づくり

 今から25年前、わが神原町に神原会館が平成8年(1996年)4月建設された。会館の建設は町民の悲願であり、当時の防衛庁の補助、浜松市及び地元自治会が建設費の三分の一ずつを分担して町民の集会等及び学習施設として建設されたものである。

 会館の使用開始にあたって、利用団体として、いの一番に「神原町カラオケクラブ」が結成された。町内のカラオケ愛好家19名が集まった。講師は鈴木富久氏、以来25年の歳月を経た。

 創設当時からカラオケクラブは、神原会館集会室で毎週火曜日夜を練習日として活発に活動してきた。

 当時、盛隆を極めたカラオケクラブも会員の高齢化に伴い現在の会員は4名となった。うち創設時からのメンバーは、鈴木さんと私だけの2名となってしまった。来年3月末をもって26年の歴史を閉じることになる。

 振り返ると、毎週火曜日夜近くの会館に25年間通いカラオケを練習したことになる。よくやったと我ながら驚くばかりである。歌は数えきれないほど新曲に挑戦して練習してきたことが思い出される。

 今や4名とも80代前後となった。コロナワクチン接種済である。コロナ対処は当初から徹底した。三密を避け、季節に関係なく窓を開放し、マスクを着けて歌っている。

 今夜は、青山新の歌う「霧雨の夜は更ける」を練習した。事前に家で10回程度譜面を見ながら練習して練習会に参加した。通信カラオケを利用して3回ほど歌った。

 毎月の課題曲は、新曲が主となる。好き嫌いは別にして時代を知ることができる。最近の歌謡界の状況の一端に触れることになる。

 こうした練習会とは別に、最近は毎日でも時間があれば、スマホの機能を利用して、昔懐かしい歌謡曲を3曲ほど歌うことにしている。ここまで来ると、口ずさむ歌は、演歌、しかも人生を主題としたものが楽しく座り心地が良い。

 家で演歌を歌い、声を出すことは健康につながる。声を出せる、出すことは健康である証でもある。スマホから流れる演奏に合わせて、マイクを使わないで地声で歌うと迷惑をかけないから一挙両得である。

 人生とは面白いものだ。中学で音楽が一番苦手であったのに、社会に出てからは、音楽と繋がる歌謡曲に親しみ、86歳の今日までカラオケを楽しんでいるのだから。趣味は自分で作るもの、楽しみも自分で作るもの、理屈なしになんといっても楽しいものである。