わが自治会活動の軌跡(30) 神原町の成り立ち、どんな町か 調査研究結果が神原町誕生50年記念誌「わが神原町の歩み」と発展

    平成17年(2005年)4月、地域の神原町自治会長に就任して以来、毎月5日と20日の2回、「神原町自治会ニュース」を編集発行した。歳月が過ぎるのは早いもので15年が経った。
 わが町に「自治会ニュース」が創設発行されるようになってから、現在に至るも継続されて情報連絡紙として大きな役割を果たしている。
 「神原町自治会ニュース」を通じて、地域社会に生起する諸問題、自治会活動及び運営や地域の話題や町内で黙々と献身的に活躍する人々などを中心に、どのような問題に直面して、どのように対処したかを回顧してみたい。
 自治会・町内会の運営と活動は、時代、地域によって状況は様々であるが、共通するものがあるのではなかろうか。そうした視点からすると現在及び将来において、自治会・町内会の会長、副会長、会計の三役などの役員として活動される方々に参考になる点もあるのではなかろうかと思うものである。時代の進展とともに自分たちの住む町の自治会・町内会は常に新しい課題に直面しながら前進していくものであるからです。 

❶ 神原町の成り立ち、どんな町か 

 私が神原町に自宅を建設し居住したのは平成3年でした。平成2年4月、35年余の自衛隊勤務を終えて、翌年に終の棲家を神原町に選定しました。全国各地を回っているときも同じでしたが、その土地土地の町の成り立ちを郷土史等で学び「その土地に惚れる」ことを繰り返してきました。

 神原町に住み、神原町の成り立ち等を知りたいと思って探したところ、神久呂地区全般の郷土史的なものが一冊あるだけでした。その後、地域の自治会では部長、副会長をすることになりました。平成17年4月自治会長に就任して、神原町誕生50周年を迎えるにあたり、未来の町の発展のためには、町民の総意を結集した「神原町まちづくり構想」を策定する必要があることを提言することにしました。

 その中の一つには、当然のごとく神原町の成り立ちを後世に残しておく必要を強く感じました。当時神原町がどのような経過で誕生したのかは、どこにも詳細な記録がなく、ごく一般的に語られるだけでした。

 こうしたことから、自治会長という立場でかって自治会長を経験された長老の皆さんを訪問して、聞き取り調査と資料収集を始めました。今日のようにパソコンの時代ではなく、ノ-トやざら紙に記録する時代でありましたから、どこかに記録めいたものがあるはずであると考えて調査したところ、神原集落の成立前後のことが記録されているノ-ト一冊を元自治会長が所持されていることを知ることとなりました。

 執念を燃やして、懇切丁寧にお聞きした結果糸口がつかめました。この記録は集落の会議禄のようなもので、手書きで丁寧に記録されていました。これをもとに歴代の自治会長と面談し細部を聞き出したりして確証を固める手法をとりました。

 また、しばしば浜松中央図書館に通い、関連事項を確認して神原町の成り立ちをまとめていきました。その骨子を自治会ニュ-スにおいて「神原町の成り立ち そのル-ツ゚を探る」と題して掲載したものであります。

 当時、多くの町民の皆様から、自分たちの町の誕生の由来、成り立ちを少しでも知ることができたと大変喜ばれたことが強く印象に残っています。

 その後、平成20年10月神原町誕生50年記念「わが神原町の歩み」、神原町自治会の編纂発行として、全戸に無料配布するにことになりました。本誌については、歴代自治会長によって、自治会活動の経過など追記されております。

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神原の地勢的な位置づけ

神原町の中心 
   町の中心とみなされる神明宮、その西・神原町816に位置する一等三角点は,東経137度40分36秒、北緯34度43分52秒です。標高37m、明治43年埋標 

地形 

    三方原台地の南西に位置し、平らな台地が大部分で、東南の神ヶ谷町方面に向かって一部分、谷間が含まれます。

面積 

    約0,65平方キロメ-トルです。神久呂4町を比較してみると、わが町がいかにこじんまりとした町であるかが良く分かります。       (単位: k㎡)

1

大久保町

5.26

2

神ヶ谷町

3.96

3

西山町

3.41

4

神原町

0.65

神久呂4町の面積と人口から、最も高い人口密度となっております。

主要施設 

・市民センタ- ・神久呂公民館、西遠工業用水神原浄水場、測量基準点の一等三角点、NTT電話中継所、市埋蔵文化財調査事務所のほか神原会館、神原公会堂及び神原神明宮があります。面積が小さい割には公的な施設が多いのが特色です。

*現在は、市埋蔵文化財調査事務所は他へ移動しています。また、浜松西警察署神久呂交番が神原町自治会の区域に設置されました。

地勢 

    地勢上神原周辺はきわめて重要な地域といえます。昔「雨溜まり」と呼ばれた地域が歩兵67連隊の訓練場となっていたごとく、要衛の地域は国が確保していました。

神久呂地区の拠点 

    地図を広げると神原町は神久呂各町の接点にあり中心拠点として適地であることが一目瞭然です。神久呂公民館が神原地域に設けられたことは地勢的な見地からもうなづけるものがあります。

将来展望 

    神原地内は、少子市高齢化のほか、公民館・市民センタ-へ地域協議会の設置等、町内を通る幹線道路の交通量の増加、市街化調整区域の規制緩和等が進めば、住居戸数の流入増加、人口密度の高率化、都市化の波は進み、神原公会堂/セブンイレブン前の変形交差点の道路整備など解決を迫られることになるのではないでしょうか。

 

神原町の風土と気質は

①独立心と団結力に富んだ町

②新旧町民の融合によりつくり上げた町

③多業種人口の増加により進取と調和の取れた町です。

神原町の施設 神原公会堂

△神原公会堂は、神原町1218番地に所在し、昭和24年(1949)建設された。当時、この地は山林だったため地元住民の手で整地され、材木は渋川から馬車で運んだとのことです。経費等の資料は見当たりませんが、当時の戸数は、51戸であり、中心的な農家が農馬を提供して集落が一体となってまちづくりに励んだ熱意が伝わってきます。

△公会堂の延床面積は、114.08㎡で、神原町の総会、各種集会、親睦の場として活用されてきました。

△昭和38年には、それまで借りていた当地を自治会で買収しました。土地名義は個人名でしたが、自治会の法人化によって、平成5年6月16日土地1218番地529㎡、1214番地162.28㎡を自治会の資産として登記が行われました。建物・土地とも固定資産税等は減免され、4,100円税金を納めています。

△公会堂は、築57年を経過しました。今回まちづくり委員会でも公会堂の建替え問題が焦点となりました。隣接したふれあい広場(多目的広場)の設置とあわせてお祭り、ふれあい行事の拠点、自治会等の事務所など多機能を有する公会堂として総合的に取り組むことで進められています。

【現在の所見】

 神原公会堂の建設についての長老の話は、実に迫力があり、貧しい時代に住民挙げての勤労奉仕で作り上げたその情熱、エネルギ-、団結力に敬服したものでした。神原町誕生の原点はここにあったと感動したものでした。神原町を作り上げた先人たちの思いにはせるとき、神原町50周年を迎える自治会長として、まちづくりはどうあるべきか大きな示唆をいただいたと思いました。

 相佐末吉自治会長時代に、公会堂は大規模な改修が行われ、水洗トイレも設置されるなど大きく発展していきました。

 神原公会堂は固定資産税など減免となっているのに、どうして少額とはいえ税金を払っているのだろうと、疑問を抱き調べたところ、かってソロバン学習塾として使用したことがあり、その面積だけ課税されていることがわかりました。

 廃止になってかなり年数がたっていましたが、その旨市役所に報告申し出をしなかったために課税されているものでした。直ちに市役所に報告して、その後この税金はなくなりました。自治会長という立場で、疑問を感じたことは調査確認することが大切であることを教えられたものでした。

 

❷ 神原町神原町自治会ニュ-ス  No30   平成18年8月20日

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