元自衛官の時想( 92) 台風・地震等の自然脅威に立ち向かう「令和日本列島強靭化大改造計画」の提唱

  大型で強い台風19号は日本列島を縦断し、広範囲に強風と大雨をもたらした。千曲川などの1級河川等が決壊、氾濫、洪水で、その被害は甚大で想像を絶するものであった。多くの死傷者と行方不明者が続発した。まさに国難とも言える事態である。

    自然の猛威に抗することもできず、唯々受け入れざるを得なかった凄まじい堤防の決壊、氾濫の様子を記録した映像、濁流に飲まれる家屋、救助を待つ人々、痛ましくも無残な家屋への土砂の流入などの痕跡の数々、連日の過酷な映像ニュースに、かっての東日本大震災の映像とダブった。

    現在まだ被害の全貌がつかめないほどの災害であったこと、被害復旧などの対処は、政府の災害対策本部を中心に取り組みつつあるが、国家を上げての対応が求められている。

    問題は、台風、地震等の自然脅威から地球規模の環境の変化などの大型化、凶暴化、威力化、頻発化に対処するには、国難であるとの認識を持ち、真に強靭な国土づくり、日本列島の「令和国土大改造」が必要ではなかろうか。

   政府は、すでに平成25年に国土強靭化基本法を制定し、国土強靭化基本計画及び年次国土強靭化計画を策定・発表しているが、都道府県の国土強靭化地域計画を含めて国土強靭化の基本認識と対処がまだまだ甘く弱い感じがする。従前の改善・改良・補強の延長ではなく、自然脅威への国土の大改造をする必要があるのではなかろうか。

    従来の発想と考え方ではなく、わが国の専門家の英知を集結して、過去及び最近の災害の内容の分析検討、問題点の精査と対処策を取り入れた壮大な「令和日本列島強靭化大改造計画」が必要ではなかろうか。すでに各分野の専門家のこれらの研究の答えはできているであろう。 政治がこれをリードして進める勇気と度量があるかどうかである。

   これには、膨大な予算と長期的な人的資源の投入を要するであろう。官民一体となった一大国民運動と行動が必要である。小手先のその都度の対処療法的手法では、自然災害国日本列島の諸問題を抜本的に解決できないところに来ているのではなかろうか。

    そのためには、将来及び未来の国家・国民のために与野党が自然脅威に強い強靭な「令和日本列島大改造」の政策内容と実行策を競い合う時代が到来しているのではなかろうか。今がその最良の時機・好機である。この大改造を成し得た政党・内閣こそ、国民の支持を受け、日本の歴史にその偉業を刻むことになるであろう。

    昨今の国会議論をテレビ等で見る限り、些細なことの箸の上げ下ろし的な質疑を拝聴し見るに耐えない。今次の台風19号を契機に、自然の脅威に強い「日本列島大改造」的な天下国家を論ずる政治が待たれるのである。

     台風、地震などの自然の脅威は、わが国の地理的・地勢的な宿命である。嘆き悲しんでも解決できない。二度と同じ災害は受けないという全国民が敢然として立ち向かう勇気と英知が必要ではなかろうか。

    わが国は、昭和20年8月大東亜戦争に敗れ、焦土の中から立ち上がった。政治、経済、社会すべてにわたって、国民の英知と努力によって、自由民主主義国家を再建した。

    平成の時代を経て、令和時代を迎えた。堤防一つにしても、現代科学、土木工法等からすれば自然の脅威に対処できる国力と英知、防災システムを培ってきたはずである。全国民の総意と国力をもってすれば、困難に見えても、令和の国家再建事業をやり遂げることができるはずである。

    来年は東京オリンピック年である。「日本列島強靭化大改造計画」が始まる年とすることは夢であろうか。こうした国家の一大事業をして、毎年の自然災害を減災、克服する国家でありたい。自然災害に関し毎年同じことの繰り返しに休止符を打つには、自然の脅威も単なる災害と考えるのではなく、国難の一つであるとの共通の認識に立って、国家を挙げての一大決心なくして、自然災害国を脱することはできない。今こそ自然脅威に対する「日本列島強靭化大改造計画」の着手によって、国家百年の計の元年にしなければならないと思うのである。