令和の徒然の記(4)  逝くも生きも八十路の旅路をどのように処するか

 1 第1期操縦学生出身の天野勝君の旅立ち

 第1期操縦学生出身の天野勝君が去る9月12日逝去された。享年84歳であった。八十路おいては、逝くも生きるも遠からじである。創設期の航空自衛隊において第1期操縦学生出身の一人として部隊等においてなくてはならない存在であった。

 天野君は、大空へ羽ばたくことを目指したが、初級飛行訓練課程において操縦適性から航空機整備へ転進し、苦難を乗り越えて精進し、エンジンの音を聞いただけで調子が分かる「エンジンの神様」といわれるほど練達の整備小隊長としてで活躍した。ジェット操縦者たちが、彼の点検したエンジンは全幅の信頼を寄せたと語り継がれている。操学1期からは操縦分野のほか各職域で、天野君のように「◯◯の神様」と言われる者が輩出していった。

    子供たちから見た父親の思い出がつづられていた。

謹んでご冥福をお祈りいたします。    

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浜松航空隊歌

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子供たちからの思い出

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2 元上司等の訃報

 航空自衛隊退職隊員の団体である「つばさ会」に訃報欄が設けられている。毎週チェックしていると創設期の昭和の時代において航空自衛隊を背負って立った先輩諸兄をはじめ、元上司や一緒に働いた仲間の訃報を知ることが多くなった。

 6月2日に元航空幕僚副長の鉾田太郎氏(陸士55期・享年98歳)、空自の創設期に仰ぎ見た方であった。

    7月10日は元西警団人事部長の野中宏之氏(航空学生5期・享年82歳)、人事仲間で3術校4科では先任幹部としてよく補佐をしてくれた後輩であった。わたくしの転任後、4科長として術科教育の向上に貢献した。また、西警団人事部長として活躍をされた。

    9月13日は元飛行教育集団司令官の長谷川孝一氏,(防大2期・享年85歳)、防大1期~7期は7期までは名前を聞けば大体思い浮かべることができる。その活躍ぶりは知る人ぞ知るである。

    9月14日には野中壽氏(一般幹候7期・享年90歳)が逝去された。私が第3術科学校第4科長として人事総務・要務・教育技術等を統括した折の上司となる第1教育部長としてご指導としていただいた方である。

 改めて、自衛隊時代の感謝とともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

3 逝くも生きも八十路の旅路をどのように処するか

 八十路の半ばか近づてくると、逝くも生きるも一人一人が異なる命の定めと運命iに従うしかない。どのように生きるかしか、これまた自分で決めるしかない。命ある限り精いっぱい充実した毎日を過ごしたいと思っている。