二度と再現た出来ないレンゲ畑
「神原町の花畑」に関わる新聞等報道記事のファイル整理を終えた。70件ばかりの写真付きの記事をみわたして、11年間の花活動を通じて、最も印象に残っている新聞記事は?と問われれば、下に掲げたすレンゲ畑の平成22年(2010年)4月17日の中日新聞記事と写真である。花活動を始めて4年目にして、3年間の試行錯誤の経験から見事に自慢のできる昔懐かしいレンゲ畑を作り上げることが出来たからであった。
2枚の田んぼ、合わせて約2,500㎡に子供たちが思い切り寝ころび、走り回ったのが昨日の出来事のように脳裏に浮かんでくるからである。レンゲに挑戦した最初の年は、レンゲが仏の座に負けてしまった苦い経験がある。レンゲと同じ合いでも異なった「仏の座畑」になりかけて苦労したものであった。
時の中日新聞報道部の取材は、ベテラン記者飯田時生氏であった。今もって、二度と再現することのできない素晴らしいレンゲ畑の子供たちの様子が掲載された。
当時は、少しは田んぼにレンゲが観られたが、最近は全くと言ってよいほどレンゲを見ることが出来なくなった。時代の激しい移り変わりを強く感じる。
花美原会の会報創刊から150号に至る活動記録と新聞等報道記事を合わせて、いつの日か花のまちづくりについて書いてみたいと思っているがかなうであろうか。
《 平成22年(2010年)4月17日の中日新聞記事と写真である。》
《 平成22年(2010年)4月18日レンゲ畑の様子 》