浜ちゃん日記  感謝の思い 「ありがとう」

 浜松市西区神ケ谷町洞雲寺山門に掲げられたお言葉「感謝の思い」は深く心に響くものがある。

一. 今日はさわやかな天気で ありがとう。

一. 今日もご飯がとってもおいしい ありがとう。

一. 今日は体が軽快で快調だ ありがとう

一. 庭にきれいな花が咲いている ありがとう

一. 家族みんなが元気だ ありがとう

 「ありがとう」この言葉ほど、人の気持ちを表す最高の言葉であろう。自然に対して、人に対して、動物に対して、数えきれないほどの森羅万象に対して、この言葉を発することができる。

    最初は「ありがとう」ということばだけでよい。親は物心ついたら子供に教える言葉であり、これほど美しい言葉はない。言語は異なっても万国共通の言葉であろう。人は歳を重ねるうちに、本当に感謝の心を表現する「ありがとう」の言葉の真髄が分かってくるものだ。

 物心ついた幼児の頃は、お友達ありがとう、一緒に遊んでくれてありがとう、お父さん・お母さんありがとうでよい。学校に行くようになったら、友達と一緒に勉強がきてありがとう、部活ができてありがとう、先生ありがとう。卒業できてありがとう。社会人になったら入社できてありがとう、仕事を教わってありがとう、であえてありがとう、結婚してくれてありがとう、子供が誕生すれば生まれてくれてありがとう、育児、教育と歳とともに様々な感謝のありがとうが生まれてくる。

 人とのつながりから自然界への感謝へと心は深まってくる。お天気ありがとう、きれいな花ありがとう、この心情・心境は歳をとってくるとよく分かるようになるものだ。

 歳を重ね人生を歩むにつれて、いろいろな出来事に直面し経験するにつれて「ありがとう」の言葉に込める思いが深いものになっていくものである。子供の頃、若いころ、壮年のころに発した「ありがとう」と80歳になった今日の「ありがとう」は同じではなく、言葉で表現できない位さらに強いものがある。心底からの「ありがとう」である。

 よく「ありがとう」が言える人は幸せだといわれる。動物の世界でもきっと表情、しぐさ、行動、発声などで「ありがとう」を発しているに違いない。

 人間は、表情や態度一つで表すことが出来る。言葉と文字を使うのみならず音楽、絵画など芸術の世界でもこれらを表現することができる。

 人間の運命はだれにもわからないが、人生の最後に万感の思いを込めて「ありがとう」の言葉が残せて逝けたらと思う。それこそ人にとって最高の感謝の「ありがとう」であろう。

 

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