浜ちゃん日記  厳粛な神久呂中学校卒業式

1. 厳粛な卒業式

 3月18日浜松市立神久呂中学校(校長伊藤公也氏)の第67回卒業証書授与式に来賓・シニアクラブ神久呂連合会会長として参列した。

   多数の来賓臨席のもと全教職員、卒業生・在校生、保護者が参加して挙行された。

   今回の卒業生は81名で9年間の義務教育を終えての巣立ちである。

 昨日の神久呂幼稚園のほほえましい卒園式とは打って変わって、厳粛な卒業式そのものであった。

    卒業式は、式次第のとおり進められしっかりとした「式典」らしい式典であった。

    式典は儀式でありであり、芸能人のショ-や余興とは本質的に異なるものであるから昔からの伝統的な型にのっとってやる方が安定感があるものだ。これはマンネリでも何でもない。日本の伝統文化のようなものではなかろうか。その観点でみると一言でいうと「立派な卒業式」であった。

 神久呂中学校の卒業式には自治会長とシニアクラブ会長として過去何回か参列してきたが、伝統的な行事ながらもかなり創意工夫がされていた。 

 式典後の卒業生が担任先生に送る合唱、在校生と卒業生の歌によるエ-ル交換などは私の時代にはなかったものである。いい時代に育った生徒たちである。

 

2.卒業式は式典・儀式

 卒業式は式という字がつくとおり、式典であり、式典は儀式である。

   その本質は礼に始まり礼で終わる。伊藤公也校長先生が燕尾服を着用して式辞を述べられた。来賓も礼服で列席した。

   伊藤校長先生の式辞も練りに練った内容となっていた。一語一句を吟味した立派な内容であった。全く無駄のない。アドブリもない。それでよいと思う。

 浜松市長の祝辞の代読があったが、教育委員会で練りに練った結果の祝辞であったと思う。時の話題の人物を取り上げて内容もよくできていた。

 式歌斉唱は「仰げば尊し」、この歌は多くが涙する。列席の誰もが時代、場所に関わらず歌ってきたものである。

    一人一人がいろいろな思い出を胸に秘めているものだ。万感胸にせまるものがあるであろう。「今こそ別れめ いざ さらば」である。 

 時代を超えて終生「先生は先生、生徒は生徒」である。その重みは社会に出て経験を積めばその意味がよく分かるようになる。

 

 

3.中学・小学生時代の重み

 今日の卒業式のことをいつしか忘れることもあるであろうが、それが人生である。それでよい。  

    人生とは不思議なものだ。いつしか必ず思い出す日がやってくる。思い出が多い方が人生は楽しい。今はそのことが分からなくてもいつか分かるようになるものだ。

 4月には、昭和26年3月卒業した鳥取県の羽合中学校の同期会を「はわい温泉」で開くことになっている。     

    傘寿・80歳を迎える記念の同期会である。中学を卒業してから何年たったかしばし考えないと分からなくなるほどである。

 写真も童顔の当時のものを用意して浜松から鳥取までの長い時間の車中で確認することにしている。人は会えば65年前がよみがえってくる。不思議なものだ。

 中学の良いところは9年間一緒にいた同級生が多くいるということである。これからの人生でどんなに良い出会いがあってもこんなに長い年月の間、同学年と一緒になることは少ないであろう。大事な中学生時代である。大切にして欲しいものだ。

 

4.卒業式の一コマ 

 

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《神久呂中学校第67回卒業証書授与式次第及び神久呂中学校学歌》

 

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《神久呂中学校長伊藤公也先生の式辞、❶人との出会いを大切にせよ ❷常に夢を持ち困難に立ち向かえ と二つを訓示された。校長先生が長年の教師としての人生観を卒業生にはなむけの言葉とされたものである。》

 

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《卒業証書の授与、昔は右総代が授与されたこともあったが、いまは校長先生から一人一人に授与しており幸せだ。壇上で順番に授与することはよいことだ。卒業生は授与の瞬間をどう受け止めたであろうか》

 

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《在校生代表送辞、自分の言葉で卒業生を送るにふさわしい内容で良くまとまっていた。クラブ活動・体育大会・文化発表会・受験など上級生の活動をしっかりと受け止めて良き伝統を受け継いでいくと決意を述べていた。》

 

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《卒業生代表答辞、代表だけあってしっかりした答辞内容であった。途中で涙ぐむとろもあったがよく我慢して立派に大役を果たした。淡々と進むよりあれでよかった。新入学から始まってクラブ活動・文化発表会・課外活動・修学旅行、最上級生になって体育大会・文化発表会・受験とすばらしい内容であった。父兄等にも涙ぐむ姿が見られた。》

 

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《卒業生起立、結構長い時間の起立となったが姿勢もよく大したものだと感じた。さすが神久呂っ子だ。》

 

5.卒業生が担任先生に贈る感謝、在校生と卒業生のお別れ

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《卒業生全員配置につき卒業合唱、頼もしくなった神久呂っ子たち、未来が明るく見えた。》

 

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 《卒業生から担任先生への感謝の贈り物、担任先生にとっては一番うれしい時であろう。》

 

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 《卒業生が贈る各担任先生への謝恩のひとときである。卒業式は担任先生にとって卒業する生徒を一生懸命育てた感慨が湧き上がる日でもある。人生には何回でも感動があった方がよい。》

 

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《各担任先生へ、卒業後お世話になった先生を「恩師」として思い続けるかどうかで己の人生がかなり変わる。恩師は自分の心の中に生きるものである。》

 

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《 左端のタクトを振る卒業生・陰で支える女生徒の指揮ぶりは立派だった。これからの人生で別のタクトを振れるようになるにはかなりの努力がいる。》

 

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《在校生が見守る卒業生の最後の活動の場、当たり前と思ってきた級友ともお別れだ。次は新しい出会いがいっぱい待っている。》

 

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《在校生に見送られて式場を出る卒業生、人生は「送ること」と「送られること」の繰り返しである。人は何回も立場を変えながら成長する。》

 

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《学校内に「校訓・自律と学校教育目標・共に生き共に育ち共に学ぶ」が掲げられていた。卒業して50年後に 自らを省みたとき、中学時代が自分にとってどんな時期であったかがよく解る。》