浜ちゃん日記 人生ドラマ創り

 1.感動を呼んだソチ五輪

   日本国中が感動の連続に包まれたのはつい3月前のことだった。もう記憶からは、随分前のことのようにさえ思える。
     ロシアのソチで行われた  ソチ冬季五輪・「  第22回オリンピック冬季競技大会」は、2月7日 から2月23日の17日間で連日明るいニュースを聞くと嬉しくなったものである。
    スノーボード平野歩夢(15歳)の最年少銅メダル、最年長銅メダルのジャンプの葛西紀明(41歳)、フィギュアスケート初出場の羽生結弦(19歳)の金メダル、スケートの浅田真央の感動の活躍など数え上げればきりがないほどであった。
    共通点してつぎのことが言える。
①子供の頃から素質・才能があった。
②親がその才能を伸ばしてやった。
③厳しい練習に耐え努力して伸びた。
④長い間の家族などの支えがあった。
⑤素直で礼儀正しく謙虚である。
    どの分野でも一芸に抜き出る者は、本来の資質能力に精進・努力によって実力を養い結果・実績を出したことである。さらに天運が加わる。彼らの人生はこれからである。さらなる「人生ドラマ」が充実発展するよう期待している。
 
2. 人生はドラマである
 人はそれぞれが自分の「人生ドラマ」をもっている。大人になれば、自分の「人生ドラマ」の脚本を書き演出し、主役となるのも自分である。中には社会や他人に責任転嫁する心得違いがいるが、自分そのものではなかろうか。
 自分が織りなす「人生ドラマ」は、この世で同じものはない。各自で創り上げるものであるからである。「人生ドラマ」には、喜怒哀楽の感動がある。
    私は、自衛隊で術科教育に従事したときに、教官たちに教育は「学生に各自の人生ドラマ作りのきっかけを作る機会である。感動を与えよ」と強調し、自らも実践精進したことがある。教案づくり、教授に当たって、感動する「ドラマ」を創ろうと提案した。術科教育といえどもそこに、自衛隊員として保持してもらいたい心と感動を覚える教育を目指した。技術を習得したら主役は本人であり、脚本も演出も自分であることを徹底した。各自衛隊員が主役の「人生ドラマ」創りを期待したからである。
 人は演劇を観て、音楽を聴いて、テレビのドラマを見てどうして感動するであろうか。科学的な脳のメカニズムと言った難しいこではなく、そこに共感を呼ぶものがあるからである。心の琴線に触れるものがあるからではなかろうか。
 他人から見たら平々凡々とした自分の「人生ドラマ」と言われてもよい。自分が一生懸命、人間として生きた軌跡が己の人生ドラマであるから、胸を張ってよいのではなかろうか。すでに鬼籍に入った自分の親兄姉の「人生ドラマ」を想うとき、それぞれに敬愛と報恩の念を強くし感動を覚える。
 
3. 毎日が表情豊かな生活でありたい
    歳を取れ取るほど感動が少ない生活となってくる。それが一番よく現われるのが顔の表情ではなかろうか。高齢になればなるほど極端に笑顔と無表情に分かれていくものだ。人は本来、赤ん坊の時は豊かな表情を持っていた。高齢になればだんだんと子供に帰っていくといわれるのに、表情だけは二つに分かれてくる。
 さりとて、自分でその表情を意識して作れるものではない。生活の中に感謝と感動を感じるものがあれば自然に表情が豊かになってくるからである。何も感じなくなると無表情になってくる。これは日常生活において、心から感動を求めている生活態度から生まれてくるように思われる。
 起居、運動、趣味、仕事、手伝い、新聞、テレビ、ラジオ、読書、散歩等毎日の生活で生き甲斐、やり甲斐、喜び、悲しみ、感謝と感動を味わう生活を出来るかどうかではなかろうか。
 高齢になれば、人生はやり直すことができない。歳とともに体力気力、意欲は低下してくるが、90歳代の表情豊かな先輩たちを見ると、共通点があることに気付く、それは日ごろの生活態度からきているように思う。なかなか真似は出来ないが、一歩でも近付けたらと思うのは欲深いのだろうか。