浜ちゃん日記 眼光紙背に徹す

甘えを許さない冷徹な見方

  この頃、新聞を読んでいて、「眼光紙背に徹す」ということの重要性を強く感じている。

   特に、内外の情勢が厳しさが増す中で、複雑・冷徹な国際関係については、あまりにも「あまい」理想的・情緒的・感情的・他力的・幻想的な見方をする立場の論調を目にすることが多い。「我こそは正義の見方」「平和愛好」といった類いの論調が見られる。世にこれを「偏向記事・報道」という。

   よほどしっかりとした考えを持っていないと、 これでもかこれでもかとのこの種の類の記事・報道を見聞している内に、知らず知らずの内に同調・納得・乗せられることになる。

   ふわっとした風潮に乗って、よほどしっかりしていないと誤った判断や見方、考え方に流されてしまうのではないかと危惧するものである。

     国内の軍事・外交等の国家安全保障問題もしかりである。

 

眼光紙背に徹す

 「眼光紙背に徹す」とは、広辞苑によると「書を読んで、ただその字句の解釈にとどまらず、その深意に徹底することをいう。」とある。   

    私はこのことは、物事の本質を しっかりと把握することであると理解している。

    毎日読んでいる新聞記事であれば、時流に流されず、記事が核心を突いた内容であるか、恣意的な記事内容でないか、記事がどのような背景で書かれているのかなどをしっかりと考えながら読む必要があるということである。

    演説・談話・声明等であれば全文を載せてくれれば良いが、大抵一部分、それも読者への素材の提供という立場ではなく、新聞社、執筆記者の立場で取り上げているから、肝心のところをカットして、特定の立場からの編集・記事・解説が多くなったように感じられる。

    一番欲しい知りたいのは、客観的な事実、演説・談話・声明の全貌、主要点である。

    紙面の制約があることは承知しているが、自らの立場・主張を織り込んだ記事内容に多くの紙面を割き、情緒的、感情に訴えていることが多いように感じられる。

 

比較して読む・聴く

     その点では、少なくとも比較できる論調の異なる2紙以上に目を通すことにしている。テレビ番組でも同じやうなテーマは二つ以上視聴することにしている。

     テレビの方はチャンネルをひねればよいとしても、新聞2紙は贅沢だとの考え方もあるが、何も購読しなくても、近くの図書館等でも読むことができる。

  その気になれば、インタネットでも検索し比較することができる時代である。

   また、すべて記事の形容詞は切り捨て、物事の真実、正論を探ることに努めるとかなりのものが見えてくる。

    また、情緒的、感情に訴える内容記事をカットして見ると、更に今の時代に何が最も求められているか、最も必要なものは何か、進むべき道はどれかが見えてくる。

    特に国際場裏の理想と現実をしっかりと区別しないと判断を誤ることになるのではなかろうか。

 

新聞切り抜き等の整理分析  

   私は 新聞切り抜きを子供の遊び感覚で中学生の頃から始めたから随分と古い。

    そんなことから航空自衛官として現役時代は、勉強・研究したい項目を選定し、一定の基準で長期にわたって資料収集していた。

    当時、自衛隊に関する記事内容はあまりにもひどかった。騙されないぞという反骨精神がその根底にあったようである。

    継続して自分なりに整理・分析・評価してみると、ある一つのものが見えてくるものである。

    すべて物事には、一貫して大きな流れがあるものだ。その流れを知るにはコツコツとこまめに事実・情報を集めて、整理・分析・評価すると大筋が読めるものである。

     問題は資料収集源である。一般市民には趣味的な範囲のことしか出来ないが、一つできることがある。         

    それは自分の最も優れた、得意な分野から見極めて判別することである。これならできる。

    私の場合は、航空自衛隊で35年間わが国の防衛に従事した立場から培った知見を活用して、安全保障・軍事問題、情勢について、報道内容や主張・解説等の正当性・妥当性を含めて自分なりに自信をもって理解、判断することができる。

 

担当業務・専門から評価

    誰でも 現役時代は、自分の担当業務・専門・得意・関心の高い分野があるものである。

    その分野から新聞・雑誌・書物などの中身・内容を確認・評価していくと自ずとどれが真実・正当であり、それに近いか、情報・記事内容の信頼度も概ね把握できるものである。

     特に、国際情勢、軍事関係はしかりである。少なくとも新聞は2紙、しかも論調や捉え方の異なるものを読むことが必須である。

    比較しながら見ていくと、片隅の小さな記事の中に意外に大きな流れを正確に捉えたものがある。

    一事が万事こうした一貫した姿勢で資料収集・分析・評価していくと新聞記事一つを読むのも面白くなるものだ。

 

自分の頭で読み・聴く

    長年趣味としてやってきたが、増えすぎた資料等の整理面から、新聞の切り抜きは最近卒業することにした。

    習慣とは恐ろしいもの、新聞切り抜きはやめたが、頭の体操でこの内容は正当かとの態度で「眼光紙背に徹す」を心して、報道に接することにしている。

    要は読まされ、聴かされるのではなく、自分の頭で考え、主体的に読んでやり、聴いてやるのである。そうするとおのずと何が正当・正論かが見えてくる。