わが神原町(4) 町を守る防災体制及び命を守る訓練 

浜松市西区神原町(かみはらちょう)の防災訓練 

 浜松市西区神原町は、今から58年前、昭和30年3月神久呂村(神久呂・大久保)が浜松市に合併したとき、神ケ谷から分離独立し、浜松市の大字となり、31年旧神久呂村の大久保・神ケ谷・神原・西山は町となった。

 神原町の地勢は、三方原台地の南西に位置し,平らな台地が大部分で東南の神ケ谷町方面に向かって一部分、谷間が含まれる。町の中心にある一等三角点は、標高37mである。

 どちらかというと地震に強い場所であり、津波の心配もなく、比較的安全な所だと思われてきた。

 

住民の防災意識を変えた3.11東日本大震災

 「3.11」・平成23年3月11日(金)に発生した東日本大震災 は、その凄さが連日映像で脳裏に叩き込まれ、住民の意識を一変させる出来事であった。

 この地方は、かって東海地震が叫ばれて久しく、何も起こらなかった、あっても大したことはないと高をくくっていた感があった。

 それなりの対応準備、訓練はしても「明日は我が身に降りかかる」という緊迫感が薄く、意識が高いのは自治会役員、自主防災隊にとどまっていた。

 あの日を境に、今や住民がこぞって、自分自身の問題として受け止め、積極的に訓練に参加する体制になった。

 

想定対象地震の具体的対処、自助・共助・近助で減災

 今日は「防災の日」、午前8時30分、地震発生の想定のもとに、各隣保班の指定場所に避難集合し、負傷者の担架搬送、障害者等の車いす移動、リヤカ-による搬送等が行われ、各班は神久呂協働センタ-に集結した。人員掌握の後、防災講座が行われた。

 今回の防災講座は、東日本大震災等の教訓を生かし、想定対象地震の区分・想定地震である、「レベル1の地震津波(東海・東南海地震、東海・東南海・南海地震 マグニチュ-ド8.0~8.7)の場合、レベル2の地震津波南海トラフ巨大地震 マグニチュ-ド9.0程度)の場合」のそれぞれについて、神原町の自然現象・建物被害・人的被害等の説明が行われ、具体的な防災対策の必要性が強調された。 

 私にとっても訓練参加は有意義な一日であった。

 

 注:神原町に関しては、平成20年10月に神原町自治会が編纂発行した神原町誕生50周年記念「わが神原町の歩み」に記されている。

 

f:id:y_hamada:20130901092945j:plain

《 安否を確認する黄色いバンダナ、無事である旨の表示印で全戸に配付されている。黄色いバンダナが玄関入口に表示されない家庭があれば、直ちに隣保で状況を確認し救出等を行う。近助こそ初動におけるける生命保持を左右するものである。 》

 

f:id:y_hamada:20130901073250j:plain

《 負傷者の担架搬送訓練、実際に人を搬出してみて担架の使い方、搬送要領、交代要領等を体験することができる。簡単なようでやってみてわかることが多い。理屈ではない。一に訓練、二に訓練、三に訓練です。 》

 

f:id:y_hamada:20130901090227j:plain

《 講話の講師は、浜松市危機管理課の小林氏、難しいテ-マを、クイズを入れたりして、わかりやすく説明した。何といっても熱誠をもって地震対策の実行を呼びかけられたことが印象的であった。最後に参加者から大きな感謝御礼の拍手が送られた。》

 

 

f:id:y_hamada:20130901074610j:plain

《 話の内容は、静岡県第4次地震被害想定結果のポイントを要領よく説明した。資料も配られ、単なる知識としてではなく、自分及び家族の生死にかかわる問題として受け止めるように強調された。》

 

f:id:y_hamada:20130901090246j:plain

 神久呂協働センタ-体育館に神原町全世帯のの代表が参集した。これだけの町民が一堂に会することは、神原町58年の歴史の中で、昨年に続いて2度目であった。

プロセクタ-・スク-ンガ2個配置され、画面を見やすくする配慮が行われた。神田協働センタ-所長、吉山主事も防災講座が円滑に進むよう努めておられた。》

 

f:id:y_hamada:20130901090850j:plain

 神原町自治会長・自主防災隊長の相佐末吉氏は、航空自衛隊OBでもある。地震対処として、自助・共助・近助を強調された。

特に、隣近所の助け合いが必要となってくると力説されたのが印象的であった。逐年、自主防災隊の編成・装備・訓練も一段と充実してきた。自治会長には地域住民を災害から守るという強い信念と実行力・行動力・調整力が求められる。相佐会長は、わが町の減災をしたいと再度強調された。》