自動車保険料率算定会の思い出(4)! 公正な損害調査と静岡・沼津調査事務所の統合!

 《自動車の強制保険》《自賠責保険》の「自算会」といえば、損保協会・損保会社はもとより警察署・検察庁・裁判所・医師会・歯科医師会・柔整師会・弁護士会・病院などでは、特に説明を加えなくても《そうですか》と理解していただけた。それだけ社会的にも認知された大きな存在であった。

 平成9年4月、着任後すぐに関係先へ表敬訪問と当会の業務についての理解と協力についてお願いにあがった。静岡県には中部地区の静岡、東部地区の沼津、西部地区の浜松の三つの調査事務所が所在し、各地区を担当していた。静岡は県庁所在地であることから静岡所長は三事務所の代表であり中心的存在であった。
 どこに行っても「自算会の公正な損害調査」の評価は高く、自算会の使命と所長としての職務の重さを感じる毎日であった。

 裁判判例でも、自算会の公正な損害調査と後遺障害の等級認定について高く評価されている。それだけ社会的にも自算会の公正な調査が信頼された証左ではなかろうか。被害者、加害者を問わず《自算会が公正な立場で決めたことなら≫と納得されることが多かった。
 昔は、肩を切るお兄ちゃんが保険会社の窓口に現れ、大声をあげることもあったようだが、この人たちも良く知っていて、調査事務所の窓口だけには、こうした類の人が現れることはなかった。

 静岡調査事務所は3年勤務し、1年目は静岡と沼津の統合準備を行った。2年目は、統合実施と事務所の円滑な運営、特に、2個の課が4個・一般調査課2個、認定課および医調課となり、所員数が38名と名古屋に次ぐ大事務所となった事務所の円滑な運営と所員の融和団結をいかにするかを重点に基盤の確立に心血を注いだ。3年目は、事務所の各部門の強化と次に予定される浜松とのさらなる統合に向けての準備を始めた。

 ときあたかも、調査事務所の統合・合理化は、時代の要請であり避けて通れない事柄であった。
前職において、建設期の航空自衛隊で数々の新編部隊の建設や大部隊の新基地への移動等に人事幕僚として何度か従事してきた経験が非常に役立った。
 調査事務所といえども組織は人で成り立つもの、長い歩みの中で、独自の伝統・風土・気質が培われ、全国一律の基準・処理要領であっても、小さなこまごまとした事務処理は、全く異なることが多かった。

 事務処理については、長年築いた沼津方式を素直に受け止め、担当者同士で事前のすり合わせと準備を重ねた。また、統合後は、両者が一組になって処理し、問題があれば話し合い、良い点を取り入れて、最後は決断し新静岡方式を定着させた。

 良くしたもので1年もしないうちに、一つの事務所としてまとまり、自算会本部から表彰をされるにいたった。統合において、各課長をはじめ所員がまとまって、調査事務所の業務を一日たりとも休むことなく、円滑に移行できたことは素晴らしいことであった。

 35年間の航空自衛官として厳しい国防任務を全うして退官した充実感・満足感と同じように、所長としてハ−ドな3年間であったが、社会的な使命を持つ自算会の役割を広め、事務所運営の強固な基盤作りを少しでも果たせたとの充実感・満足感であった。