自動車保険料率算定会の思い出(3)! 奥の深い大変な後遺障害認定 業務に挑戦、さらに課長職へ!

 平成3年12月、静岡から浜松調査事務所へ転勤した。自宅からの通勤でずいぶん楽になった。初出勤してみると、認定医調課では後遺障害担当せよとのこと。再び一からの後遺障害認定業務の勉強が始まった。幸いなことに医療の基本的なことは医療調査で習得していたので、ずいぶん助かった。

 早速、名古屋地区本部において、後遺障害担当の初任研修を受けた後、伊豆の損保協会の研修所に宿泊して連日朝から晩まで一週間以上も慶応大学付属病院の各科の専門医師から後遺障害に関する医学的な授業を受けることになった。
 帰ってからは課長のもとで直接指導を受けながら易しい後遺障害事案を担当しながら徐々にレベルを上げていった。毎日が新しいことの習得でのんびりしている余裕はなかった。

 後遺障害の認定に当たっては、事故状況、診断書、医師への照会、レントゲン・MRI・CT等の取り付けなどして万全を期し、直接、顧問医の先生の医学的な意見をいただいて等級認定をし、地区本部に上げ承認をもらう手順が行われた。顧問医は自算会本部から委嘱された公共病院の部長以上の高名な専門医の方であり、顧問医の意見聴取に当たっては、事案について疑問に感じていることは率直に質問し教示をいただくことに努めた。研修と実務をかさねながら認定業務も自信がつき、スム−ズに業務を処理できるようになった。

 後遺障害を担当してから数年がたち、後輩の指導にも意を配るようになった頃、急に課長が重い病気にかかったため、急きょピンチヒッタ−として、入所5年目認定医調課長を命ぜられた。
認定医調課長の後、今度は一般調査課長をやることとなり、第一線の自算会調査事務所における課長職を全部経験することになってしまった。

 現場の調査事務所で、一番忙しいのは課長職で、受付事案は先ず書類の内容を点検をして担当者を決めて、事案を配付し、全体への目配りと細心の注意を払って、課員の事案処理が円滑に進むように指導と助言を行いつつ、最後は事案の決済をすることになる。間違いがあれば指導を行い再処理を命ずる。
 
 その間、新人の教育指導も行う。誰よりも事案処理に当たって専門知識と処理要領を熟知している必要がある。経験を積めば積むほどよいが、毎日毎日絶え間なく送り込まれてくるのだ。事案は待ってくれない。時間は停止してくれない。身体がいくつあっても足らないくらいだ。

 経験をカバ−してくれるものが一つあった。全国の調査事務所から報告された特異事案の処理事例が多数あり、これを幅広く多数収集して徹底的に学習し、直面する未経験の事案、難しい事案の処理に参考事例として活用することだった。
 もうひとつは、どこの地区本部にも経験豊富なその道の神様的な存在の重鎮がおられ、迷いがあるときは、素直に自分の事案処理方針や解決できない疑問点、悩んでいる点を述べ、指導を受けることであった。特に後遺障害事案の認定処理には役立ち大きなミスをすることもなかった。

 こうしているうちに、静岡調査事務所と沼津調査事務所との統合の特命を受けて、平成9年4月、入所7年目にして、新入所員として育ててもらった思い出の静岡調査事務所に所長として着任することとなった。 そこでは、厳しい社会のニ−ズに対応すべく大きな課題に取り組まなければならない任務が待っていた。