自動車保険料率算定会の思い出(1)! 素晴らしい実務教育!

 平成元年の春、航空自衛隊で定年退官を1年前にして、今後の進路を決める日が近づいた。35年間国防一筋に誇りを持って全力で勤務出来、十二分に満足して卒業できるので、次は、とにかく全く新しいことに挑戦してみたかった。
 できれば軍事分野とは全く異なった業種、しかも前職とは全く縁のない世界で新しい人生を切り開いてみたかった。そこで知ったのが、尊敬する先輩たちが多く行っていた《自動車保険料率算定会》を、空幕援護室の紹介で就職試験を受けることになった。

 特に気に入ったのは、厳格な採用試験があること、試験も適性検査、論文(作文)、面接があることを知り、挑戦する気になった。もうひとつは、教育体制がしっかりしていて、「何も知らなくても大丈夫だ」との先輩の一声であった。さらに興味があったのは、いろいろな業界・職種を卒業した管理職経験者が集まり、全員が必ず一兵卒、新兵、平社員から始めることであった。自衛隊という世界しか知らないので、一から出直しどれだけのことができるか試してみたかった。

 ちなみに、自動車保険料率算定会(現在は、平成14年損害保険料率算定会と合併し、損害保険料率算出機構に変わった。)は、自動車保険および自賠責保険事業の健全な発達を図り、保険契約者等の利益を保護するため、公正な料率を算出することなどを目的に料率団体法に基づき昭和39年1月に設立された法人であった。

 このことは、後年、所長として採用試験の一員として加わり、実に厳格で公正に行われていることを確認して、自分の当時の認識に間違いがなかったと思った。平成元年11月、静岡商工会議所の一室で採用試験を受けた。当日は多数の受験者がいたが静岡、沼津、浜松に勤務する5名が採用された。受験に当たっては、航空幕僚長の推薦書をいただいた。

 平成2年4月、浜松から静岡調査事務所へ通勤することになった。良く新入所員の教育体制が整っており、教育担当の課に配属された。課長と教育係の助手がついて、文字通り手をとりながら実務を教えていく教育体系は、自衛隊に負けないほどのものでした。
課長、助手は、独立した教育研修部門ではなく、通常の自分の業務をこなしながらの教育であり、実務と一体となった教育研修であった。

 入社早々、名古屋地区本部の集合教育で、最初の1週間、自賠法、関連の規定、実務の内容を徹底的に教えこまれ、後は調査事務所で実務訓練を重ねた。半年後には先輩たちと肩を並べて仕事ができるようになった。
 最初、集合教育研修に集まった面々は、損害保険会社の部長経験者が多く混じっており、自賠責の何たるかも知らない、ましてや業界用語は初めて聞くことばかり、眼を白黒させながらの研修であったが、逆に全く知らないということは、素直に指導者の教えを素直に受け止め理解し、人一倍努力するので、学習をしているうちにメキメキと成長していったようだ。
 幸い通勤の片道1時間余の行き帰りは、教わったことを復習し、間違いを指摘されたことは二度と間違えないようにしたが、若い時と違い歳のせいか恥ずかしい思いをすることが多かった。

 調査事務所の教育担当課長、助手を担当した所員は、多くが所長になっており、実務はもとより人格識見に優れた方が抜擢されたようだ。私を育てて下さった当時の課長、助手は実に立派な方で今日に至るも親交を深めを尊敬している。調査事務所で約10年勤務させていただいたが、いつも先輩を目標に自分もこうなりたいものだと努めてきた。

 毎年12月上旬、静岡自賠調0B会が開かれる。現職の所長を招いて、かって調査事務所に勤務した面々が年に1度再会し、近況や当時の思い出を語り、最近の調査事務所の現状を話してもらったりして、楽しい酒杯を重ねている。最初に参加した当時は一番若手であったのに、先輩たちが一人二人と旅たれ少しづつ年長組に入りつつあるようだ。

 人生は連続である。新しい分野に挑戦したが、調査事務所の勤務において、自衛隊で35年間培った体力気力、知識経験が生かされる時がやってきた。調査事務所に勤務する者にとって、だれであれ業種を問わず前職の管理職として積みあげたものが、自賠責の調査・査定という実務において生きてきたのである。まさに人生にとって無駄な経験はなく、肥やしとなるものだ。生かすも生かさないも自分自身にある。