7月21日入道雲も出た快晴の一日であった。夕方は、神原町納涼祭が自治会主催のもとで行われた。自治会の役員経験者は招待されており、今年も参加することができた。わが神原町は、若い世代の世帯が増加し、子供の参加が従前以上に多かった。普段からあちこちで子供の声が聞こえており、活気があり将来が明るい町である。
納涼祭の行事内容も新しいものが増えており、素晴らしい傾向である。
《 神原町納涼祭のプログラム 》
《 神原町納涼祭は、太鼓も踊りの輪も子どもが主役であった。今日から学校は夏休みに入った。》
1. ブログを始めた頃
ブログを始めてから1500日以上が経過した。思いもしなかったがんの発病が発端となってブログを書き始めたが、幸い82歳にして今日まで生き延びている。誰でも自分ががんになるなど思ってもいないものだ。自分は例外だと思ったりするのが人間の性というものであろうか。
今では、がんのことは忘れたかのような格好で毎日を平穏に過ごしている。まさに、人生は一寸先は闇であり、分からないものである。山あり谷ありとすると、当時は谷底にいたのであろうか。
最近、ブログについて、世上で話題になっていることが二つあるように感じている。ブログという文明の利器は便利なものだが、悪用されるととんでもないことになるからだ。
一つはブログを悪用して、偽の情報を流しお金を儲けようとする輩が現れたこと、もう一つはブログに相手を非難・悪口などを書き世間の注目を浴びようとする類である。
2. ブログで迷惑をかけない
それにしてもこの世はさまざまである。そのほかにも、最近は、亡くなった人のブログなどの処理が話題になっている。先日も新聞紙上でこれらを取り上げた記事を読んだ。パソコン店を訪れた時も同じ類のことが広告に載っていた。突然亡くなってしまったらパソコンの暗証番号もわからなく残されたものがパソコンを開けなくなって困った時、どうぞという案内であった。死後のブログの処理も商売の対象となってきた。ブログの管理についてどうすべきか銘すべしと思った。
ネット社会が進展すればするほど、他人に成りすまして語ったり、嘘の噂を流したりと悪用する事例は世の常である。
私の場合、ブログは自分を中心とした事柄を書いているが、社会は人と人との繋がりであり、他人に迷惑をかけている面があるかもしれない。毛頭意図しなかったことが関連して起こることも考えられ、用心に用心が必要である。
3 ブログを泣かせない
ブログを書くにあたって、一番大事なことは人の悪口を書かないことである。ほめることはあっても悪口を書かない。日常生活でも当たり前のことである。人の道というものであろう。悪口が横行し始めたら抑制がきかなくなってしまう。売り言葉に買い言葉になってしまうものだ。傍から見たら見苦しいのもである。ブログが泣いているように見える。
論評や批判は一定の立場と基準を持って行われるので、受け入れられるが、悪口は感情的なものが先に立っている。ブログで悪口を書かないことを信条としている。ブログを泣かせない意地というものは貫き通したいものである。
2017第28回浜松フォトフェスティバルは、7月18日から7月23日までクリエ-ト浜松で開催されている。今日は朝から午後2時まで会場の受付を担当した。会員としては当然の勤務・当番であり、写真展運営の舞台裏を経験することができた。エアコンが効いており快適であった。
気象庁による東海地方の梅雨明け宣言は一昨日であたった。日中の厳しい暑さはこれからさらに増すであろうから「暑い」と言っていないで防暑策を進めらことにした。その一つが熱中症対策をしっかりしての草取りだ。
ここ一週間は天気のせいか、花畑・花壇の雑草の伸び具合は著しいかった。そこで、草取りをしようと、気温が下り始める午後4時ころから花畑に出かけた。
夫婦で出かけ、自分が一番先に除草しようと思ったところは、午前中にきれいに除草されていた。会員の一人が自主的に草取りをしてくれていたのだ。ありがたいことであった。
そこで、コスモス畑の草取りと花壇の水やりを行なった。
作業は、スム-ズにすすみ7時に帰宅した。くわを使っての作業は大汗をかくが、身体を動かし血流の動きも良好となった。水分も充分とった。急がば回れのとおり、雑草取りは地道なコツコツの努力に勝るものはない。一本一本抜き取る作業に勝るものはない。猛暑の一日の終わりはビールの乾杯で収めた。草取りができる身体に感謝した。
《 花木の成長とともに雑草も生える。 コツコツの努力しかない。》
1 生涯現役を目指した医師
昨日の夕刊は、生活習慣病の予防や終末医療などに取り組み、百歳を超えても医師として活躍された 東京・聖路加国際病院の名誉院長で文化勲章受章者の日野原重明さんが7月18日 逝去されたことを報じた。105歳。
とりわけ、医師として患者の人格や意見を尊重する「患者本位の医療」を実践。人間ドックの早期開設に尽力したほか、聖路加看護大学に国内初の大学院博士課程を設置するなど、後進の看護師らの育成を進めた。
死生学や人間の心にも関心を抱き著書も多数執筆。平成13年に出版した「生きかた上手」は120万部以上のミリオンセラーになったといわれている。
私が早くから注目し、共感を覚えたことは、各地に「新老人の会」の設立を提唱され、超高齢者社会における新しい老人の生き方、とりわけ、社会への貢献を強調されたことであった。定年になったら社会的な活動を停止するのではなく、自分のおかれた立場と環境で少しでも社会に貢献することを力説されその活動を推進されたことであった。
超高齢者社会における高齢者の生き方を実践・示唆された方であった。
2 高齢者の共通の願望と終末
超高齢化社会になって、共通の願望は、「健康で歳を重ねたい」「いつまても元気でいたい」と言うことではなかろうか。高齢になると歳を重ねるにつれて、周りの高齢者の生き様を見て、いつの日か終末・最終段階における自分の姿を重ね合わせるものである。
人の願望は、実現しないこともある。多少でも願望に近っけばよしとするしかないであろう。それが分かっていながら人は、「いつまでも元気でいたい」と思い、努力を続けるものだ。わが人生の終末期まで、次の三つができたらありがたい。
❶ 自力で行きたい所にいける
人の介添えなく、自分の気力・体力で行きたい所にいけることである。地域や近場を中心に行ってみたいところがあっても、体力面から諦める人が多い。
さらには、自分の力でトイレにいけること、用をたすのにいちいち家族の手を借りなくでできることである。
❷ 地域活動で生涯現役でいたい
人はそれぞれ人生の歩んた道が異なる。職業人として生涯現役でいることはかなかな難しいが、地域社会の身近なことで、自分にできる範囲のことをやり遂げることはできるであろう。目立たない事柄であるほど地域社会は必要としている。
❸ 介護の世話になりたくない
できる限り終末に至るまで、介護や医療の世話にならず、健康を保つことが家族のみならず、社会貢献につながる。歳を重ねるにつれてその願望は難しくなるが、自分なりに努力して寝たきりになるのを局限したいとする強い意志を持ち続けたい。俗に言われている「ころりと逝きたい」と思うがどうであろうか。
つまるところ、最後まで「自分のことは自分でやれること」ではなかろうか。また、最後は家族に見守られながら、「ありがとう」と言う言葉が残せたら最高であろう。
趣味の一つとしている写真は、まったくの駆け出しであるが、浜松写真連絡協議会の一番大きな写真展である2017浜松フォトフェスティバルに参加し、作品を3点(半切)出展した。
歴史のある2017第28回浜松フォトフェスティバルは、7月18日(火)~7月23日(日)クリエ-ト浜松で行われる。本日午前は作品の搬入・展示作業に参加した。約210点の力作が展示された。多くの方が来訪下さることを期待する。
浜松フォトフェスティバルの歴史や開催の目的、出展要領等は次の会長及実行委員長のごあいさつに十分こめられているので紹介する。
《 2017第28回浜松フォトフェスティバルのパンフレットの表紙及び会浜松写真連絡協議会会長丸井敏郎氏、浜松フォトフェスティバル実行委員長木田敏信氏のあいさつ文 》
《 出展作品「収穫の喜び」3点、寒冷期に水に浸かりながらレンコンの収穫に励む、喜びの姿を表現したかった。果たしてとこまで表現し、伝えることができたであろうか。 》
平成2年4月、35年余勤務した航空自衛隊を退官して以来、 航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」は今日まで引き続き購読(非売品)している。在職中は当然であったが、退官して27年になるも継続愛読しているのはどこからくるのであろうか。
❶ 指揮統率を極める
現職時代、特に注目した記事は、指揮官及び幕僚として必須な指揮統率の根源、指揮管理の在り方などを中心とする各分野のその道の第一人者、著名人との対談内容であった。現職時代を振り返ってみると、幹部自衛官として指揮統率を極めたいとの思いが強く、毎日が修練の毎日であったように思う。
今は全くの第三者として客観的に拝読し、なるほどとうなずきながら賛意するものがある。また、現職時代の指揮統率について振り返ることがある。
❷ 時代と動向を知る
新聞や雑誌は常に時代を反映したものである。どんな内容でもその時代の潮流を探ることができるが、専門誌でないと掴めないことがある。その点、航空自衛隊の翼を通じて今の時代と動向を知ることができる。
航空自衛隊も昭和の時代と今日とでは内外情勢をはじめ大きく動いている。軍事の世界に籍を置いたものにしか分からない分野のことがあるものだ。航空自衛隊連合幹部会という親睦団体の機関誌とはいえ、記事の端々に航空自衛隊の時代の推移と動向を知ることができるからである。
❸ 乗り越え未来へ進む
昭和の時代の航空自衛隊は、創造・建設と改善の時代であった。時代とともに充実発展するのは当然なことだ。今の時代は国内外の情勢の変化もあり、自衛隊に対する国民の理解と期待が一層大きなものとなってきた。
航空自衛隊は、営々として築かれた蓄積・基盤を土台に今日より明日と発展してもらいたいと願っている。当時の組織と先人を乗り越える組織と人であってもらいたいと思っている。
国家・国民を守る自衛隊の使命を達成するための努力は、一日として止まることはない。どのように乗り越えていこうとしているのか、そのありようを翼の記事内容を通じて知ると嬉しいものである。自分たちができなかったことをやり遂げているときは一層嬉しいものである。
❹ 防人の思いを共有する
古巣の航空自衛隊おける防人の使命感や心情には、昭和から平成と推移し、どんなに時代が移り変わっても、自分の人生の骨幹となった時代と共通するものがある。翼の体験記などの記事の端々に同じ思いを、当時と今も変わらないものがあることを知り、共感を呼ぶ内容に出会うことがある。
任務遂行に対する隊員の使命感や心情は、昭和の時代と今と同じようなものではなかろうか。
航空自衛隊幹部会と機関紙「翼」のますますの発展を祈念する。
《 平成29年7月発行の 航空自衛隊幹部会機関紙「翼」の表紙 》
今日は、7月16日日曜日快晴で日差しが強かった。午前8時からの菩提寺の清掃作業に出かけた。檀信徒が年2回清掃奉仕することにしているものだ。約1時間30分汗を流した。こうした奉仕作業はどの人も一生懸命に働く、大汗をかいたがさわやかな汗であった。作業も順調に進み境内及び周辺がきれいになった。
臨済宗方広寺派天龍山洞雲寺(住職金谷義宣和尚)は、613年の長い歴史のあるお寺であり、檀家数も309で本堂及び庫裡等の再建改修が進められることになった。
5月14日洞雲寺檀信徒総会において本堂・庫裡等改修工事計画、建設委員会の設立等が承認された。今後、平成30年4月工事着工、32年工事完成、33年落慶式・晋山式と進む予定となっている。建設費用の基盤となる洞雲寺建設協力金についても具体的に進められるようになった。
これは、洞雲寺が末永く後世に受け継がれる様にとの檀信徒の熱い思いが結集しての結果であり、建設委員会の本格的な活動が始まった。実に壮大な一大事業といえる。
《 広い敷地であり、境内の他道路等外回りの清掃を行った。》
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