1. 子供の頃の環境
《 わが家の外壁の私道脇に設けた花ライン 》
1. 子供の頃の環境
《 わが家の外壁の私道脇に設けた花ライン 》
1.びくもしない骨幹
昨日は、午前、浜松市西区の神原町花の会が管理するお花畑にルコウソウのアーチをバイブを組立、設置した。
花畑の中央入口にアーチを作り、ルコウソウやアサガオのつる性を活かし、子供達にも喜ばれ、花壇にアクセントを付けたいと努力してきた。
ここ数年、何とか手持ちの竹材、木材や農園資材を使ってアーチを作ったが、ルコウソウが立派に育てば育つはほど重量が増して、逆に、吹きさらしの場所だけに強い三方ヶ原の風や台風には勝てず、毎回傾いたり、壊れたりしてきた。
要するに、見かけは良いが強烈な風に対抗しうる骨格ができていなかったことで、失敗を繰り返したわけである。
そこで、何ことも同じだが、苦い経験を繰り返して、ア-チもあるべき姿に落ち着いた感じである。
最初から本格的な骨格を構成しておけば、当然予測される事態に対しして全て対処できるが、理屈は分かっていても出来るだけ金をかけないでと言う考えにとらわれてきた面があった。その「都度対処」・言うなれば「継ぎ接ぎ対処」であった。
今回は多少経費もかかったが、頑強な骨組みとなった。資材はプロに見積もってもらい購入した。組み立ては素人が寄って知恵を出しながら組み立てた。
最初からパイプ管にすれば良かったであろうが、花活動の立ち上がりの状況から当時の判断はやむをえなかったとおもわれるが、いろいろと失敗を繰り返した結果、今回のア-チ設置に思い切ることができた。
お花畑のアーチ作りからいろいろと学ばさせてもらった。一事が万事、本質的には同じである。
それは小は身近かな地域の諸問題に始まり、大は天下国家の昨今の政治、経済、外交、国防、社会などの仕組みなど、時代と情勢の進展を見据えながら常にあるべき姿や方向を追求する姿勢が重要かつ必要であるように思うがどうであろうか。
国際・国内のあらゆる面で時代は急激に進展しているのに、状況に対応できない企業・団体、さては地域社会や国家・民族・国民も同じではなかろうか。あるべき在り様、姿を追求できないものは所詮衰退し消えていく運命にあるのではなかろうか。
お花畑のア-チと同じである。骨幹となるべきことをしっかりさせておけば、最小限の被害で済むものだ。
2. 花苗の提供と花活動参加
昨日は、ア-チの設置と並行して町民から提供された花苗を花壇に植えつけた。いただいた花苗をどのように有効に活用するか花苗を現場に配置してデザインが決まった。こちらはもっぱら女性の皆さんが相談し合って決め植えつけた。
自分の家庭で種を蒔き苦労して育てた花苗を提供してくださることに感謝あるのみです。いろいろな方が種を、花苗をと提供してくださる。昨日の作業は、平日でしかも臨時の作業であった。今後の天気の推移、資材の入手、花苗の提供などにより急きょ前日夕方連絡したばかりであるが、それでも参加してくださる方がある。ありがたいことです。
お金で買えない、換算できない、人の「善意」に支えられてた活動でもある。この善意を無にしてはいけないと頑張っていたら私の身体の方もしゃんとしてきた感じである。この間から左の腰痛があったが、スコップで花壇を耕し、大汗を流していたら自然に治ったようだ。全身を使う作業が全身治療につながったようだ。人間の身体は精神と一体であることがよく分かる。
《 ルコウソウのア-チ作り 》
《 花期が長いルコウソウ 》
《 花壇とコスモス畑、一体となって住宅地における景観を創りだす。 》
《 提供されたケイトウなど、後方はコスモス畑、発芽して順調に育成中 》
《 花壇の側面 》
昨日は、ブログを休むことにした。7月1日は、自衛隊発足の記念日であり、日本の安全保障政策のあるべき方向が国民に提示・問いかけられた歴史的な日となるであろう。
自衛隊OBとしては感慨深く、政府が臨時閣議で決定した「集団的自衛権行使の容認」に関する全文の吟味、新聞各紙の報道内容・論評と比較、世論調査の手法・内容と比較、安倍晋三内閣総理大臣の記者会見、各テレビ局の特集も深夜まで視聴した。
かって自衛隊に身を置いた者としては、日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたと言えるが、60年余の歳月を経てようやく一歩踏み出したばかりで、10里の中の1里といったところであろう。
髭の隊長・佐藤正久参議院議員が、ある番組で「集団的自衛権」をめぐるテ-マで、空理空論ではなく、実体験も交えて冷静に理路整然と話をしている姿にOBとして力強く感じた。
浜松市西区は、梅雨時なのに、雨が少なくで困っていたが、少しは降ってくれた。西区の中でも地区によってかなり差がでてくるようだ。そこが大気の自然現象というものであろう。
それでも例年よりかなり遅くなったとは言え、浜松市西区の神原町花の会の管理する花畑のコスモスも不揃いではあるが何とか全部発芽し、ほっとした。
昨日は、花壇の春草の最後の整理をした。少しはでも長く咲かせようと手入れしてきたが、あれほど咲き誇った草花も時期が来れば終わりである。
生き物には寿命があり、役目を終えたものは自然に退場する運命にあるのではなかろうか。
人も花も生きとし生けるもの全てが同じである。そこで花の入れ替え、役目交代を逐次行なってきた。
花期を過ぎたものは、果断に整理をし、次期の花に切り替える。新たなる花に活躍の場を用意する。辛いことではあるが、「素晴らしい花を咲かせて有難う」と話しかけて整理している。残酷なようであるが、これが冷徹な自然の哲理である。
どんなに抵抗しても花期の寿命には、逆らえないものだ。しからば、地域の景観に寄与し、最高の華やかな見せ場を作り、皆さまに楽しんでもらう。これを演出するのが花に対する最高の処遇ではなかろうか。
このように考えると「どんな花にどのような役目を与え、活躍してもらうか」など面白く、興味が尽きない。
花の会の代表としての役目をどのように果たすか、花活動を通じて考える機会をいただいている。ありがたいことである。
《 コスモス畑、写真は一番良いところであり、広い畑にまんべんなく均等に咲かせる苦労があるが、うまくいくと喜びも大きい。》
1.浜松支部の参加
去る6月1日静岡県隊友会総会・講演会・懇親会が静岡市にある静岡県護国神社直会殿で開かれた。
浜松支部からは、今村昭八隊友会本部参与(元静岡県隊友会会長)、松岡弘行隊友会本部地方執行役(前静岡県隊友会会長)、濵田喜己県隊友会相談役(元静岡県隊友会副会長)、若杉幸助西部地区協議会会長・県隊友会副会長、有田高明県隊友会副会長・浜松支部長、佐藤久県隊友会副会長・浜松副支部長、小椋靖浜松支部副支部長、中村重徳浜松支部理事、池武彦 浜松支部理事のほか女性6名が参加、総員15名が参加した。
県総会であり、浜松から静岡へ出かけるとなると一日がかりの行動となるが、浜松支部は主要役員が主体に参加することになった。それにしても各支部が多くても3~6名ほどであるから、西部地区の有力支部たる浜松支部の実力であり、有田高明支部長以下の役員の団結力の結果であろう。
2.女性隊友の参加
県総会で、大挙して女性隊友 浜松支部副支部長岡村十九子氏のほか理事の堀田ミサ子、牧田カツエ、鈴木羽津子、村上冨美、鈴木忍の各氏6名が参加したのは明るい動向ではなかろうか。
総会参加の女性隊友は東部地区の1名と合わせて7名であった。浜松支部に女性隊友が多いのは、若杉幸助前支部長、有田高明支部長の人知れぬ長年の尽力の賜物であり、女性参加の地道な活動の成果と言える。
全国の隊友会各支部における女性隊友の加入率はいかほどか知らないが、浜松支部は、まだまだの感があるが他と比較したら多分上位に属するであろう。
ましてや、女性隊友の役員登用率はどうであろうか。浜松支部では積極的に副支部長、理事に全員が登用されている。
これほど女性が社会的に進出・活躍している今の時代、女性の参加していない組織は発展性がないとみなされる。男性がダントツ多い自衛隊でも女性の自衛官、事務官はかなりの数である。
そのOB団体に女性隊友が少ないのは大きな課題であるように思うのは私だけであろうか。
女性の加入が少ないとすれば、それなりの背景、理由があるであろうが、女性隊友の増加は隊友会が発展していくためには避けて通れない課題である。 将来、県レベルの会長、副会長に女性隊友が就任するようになれば新しい発展が期待できるであろう。
3.静岡県護国神社昇殿参拝及び遺品館
毎年総会の前に、参加者一同揃って静岡県護国神社に昇殿参拝している。
広大な敷地に、こんもりとした大木が茂り静寂の 境内に入ると心が静まる。
静岡県護国神社は、明治23年11月共祭招魂社として静岡市北番町に創立され、昭和17年10月静岡県民の総意により静岡市葵区の地に造営遷座され、明治維新より大東亜戦争まで国のために尊い生命を捧げられた静岡県出身の戦没軍人軍属の約7万6千余柱の御霊をお祀りしています。
全国各地に「護国神社」が多く存在するが、お国のために散った英霊をよくぞこのようにお祀りしている場所が時代を超えて営々と維持されていることに敬服し、崇敬の念でいっぱいである。
古今東西、世界中どの国であろうが時代が変わっても、貴い生命を捧げた御霊は大事にされている。そこには主義・主張・立場・理屈などない。わが国だけが当たり前のことが当たり前でなくなったことは嘆かわしい国に成り下がってしまった。
毎月私はお墓参りをし頭を垂れる。そこには宗派・理屈・主義・主張・信条など関係ない。あるのは先祖を敬い、加護をお願いするだけである。ごく自然な人間の姿ではなかろうか。
毎度のことながら、休憩時間には、2階に設けられた遺品館を訪れることにしている。この遺品館は昭和53年に開設、県下のご遺族から寄せられた貴重な遺品が約3.000点展示されており、遺書などを読むと当時のことが想像され感涙する。
4.静岡県隊友会総会
総会は、若杉幸助西部協議会会長・県副会長の司会の元で進められた。
河原嘉光静岡県隊友会会長の挨拶、松岡弘行隊友会本部地域執行役の隊友会本部における状況説明等に次いで、議事に入り堀英男事務局長・副会長等から事業実施報告、決算報告、監査報告、本年度事業計画、予算計画についで説明が行われ、万場一致で承認された。若杉幸助西部協議会会長から支部長研修の概要説明のほか地本援護課長土屋武尊氏から予備自衛官の現況説明も行われた。
大西勝監査役から提言のあった事務局強化については、今後理事会で検討することとなった。
5.講演会
講演会は、自衛隊静岡地方協力本部長山下愛仁1等空佐を講師とし、「我が国周辺の情勢と我が国の防衛政策等について」話をされた。対象がOBであるだけに図表等を使って、最新の情勢と防衛政策について要を得た説明が行われた。老兵にとっては現状を再確認することができ有意義であった。
自衛隊地方協力本部は、私達OBにとっては、かって「地方連絡部」「地連 」と呼ばれ、お世話になったところである。「地本」は文字どおり県庁はじめ自治体など地方における自衛隊の窓口である。募集と援護を担当し、広報官には優秀な隊員が配置され活躍している。
6.懇親会
懇親会は、予備自衛官部会と合同で行い盛大であった。
主催者の河原県隊友会会長の挨拶についで、陸上を代表して富士学校長竹内誠一陸将、航空を代表して航空飛行教育集団司令部幕僚長平本正法空将補、乾杯は今村昭八隊友会本部参与の音頭で始まり,歓談の後、締めは、濵田喜己県隊友会相談役の万歳三唱の音頭で閉会した。
懇親会には、来賓として静岡県所在の部隊・機関の主要幹部が全員臨席された。
万歳三唱は、自衛隊・隊友会・予備自衛官部会の発展を祈念して、現職時代のように力強く気合を入れて号令調整並に行なった。
7.OBの支援がありがたかった
富士学校長竹内誠一陸将は、3.11東日本大震災の折は、統合部隊の幕僚長として活躍された方である。挨拶の中で、震災前から綿密な諸計画に基づく大規模災害対処演習を行っていたこと。出動部隊の隊員で被災した隊員・家族に対するOBの支援がありがたかったと述べられた。
OBと現職隊員だけにしか分からない精神的な絆があって理解できる事柄でもある。今や父兄会・隊友会において、出動隊員の留守家族の支援は大きな課題となってきた。その協力支援要領も話し合われるようになってきた。
8.自衛隊の教育訓練の成果は素晴らしい
私はOBになって、感じていることの一つに、OBの地域 社会における諸活動の中に自衛隊における教育訓練の成果がいろいろな面で生きていることを見聞してきた。浜松支部は、20年以上前から地域社会において「一人一役」運動を推進してきたが、実によくその成果を上げている。したがって、手前味噌ではなく、確信をもって、自衛隊における教育訓練の成果が血となり肉となっている実例を挙げて現職の皆さんに自信と誇りを持って職務に励んでもらいたいと 話ている。
竹内陸将にもその旨申し上げた。総じて現職当時の職域・階級を問わず、地域社会や会社等で自衛隊勤務で培った資質能力を発揮しているからである。
とりわけ優れているのは、責任感・企画力・計画立案力・調整力・指揮統率力・実行力といえるであろう。
《 静岡県護国神社正式参拝 》
《 静岡県護国神社正式参拝後 》
《 浜松支部女性隊友 》
《 河原嘉光静岡県隊友会会長挨拶 》
《 講演会 》
《 懇親会 》
《 遺品館建設の趣旨、戦後の長い歳月に耐えて遺品もしっかりと保管展示されている。》
《 遺品館、こじんまりとした館内であるが、所狭しと貴重な遺品が展示されている。殉国英霊が「祖国よしっかりせよ」と呼びかけている。 》
1.例祭の子供の参加
近隣の法多山、可睡斎、小國神社を巡っているうちに、子供のころに、郷里鳥取県湯梨浜町内の倭文神社・伯耆の国「一宮さん」の5月1日の例祭が思い出された。
毎年山越えをして、近隣の人々が集まり、数多くのお神輿が出たものである。とりわけ郷土宇野のお神輿が重く立派であったことが記憶に残る。
私も小学生入学前だったか定かでないが、稚児で例祭に参加したことが誇りであった。お祭りに参加した実感が子供心にあった。
大東亜戦争最中は、若者が出征し神輿を担ぐ人がいなかつたが、戦後復員した若者で賑わった。
全国各地で鎮守の森、秋祭りなどが今も連綿として行われている。法多山、可睡斎、小國神社然り、これら例祭に多くの子供が稚児として行列にくわわり、奉納舞に少女達が、笛や太鼓に参加している姿を見るたびに、子供の時代に一人でも多くの子供に体験して欲しいと願う。
そこにはお金で買えない、学校で学べない、塾からも学べない、親から学べないものがある。その土地・地域からしか学べないものがある。
その土地で育った人々が幾代にもわたって継承してきたものだけに、伝統文化でもあろう。
家内も中学生のころ、浜松市神久留神社の例祭で浦安の舞を奉納したことがある。外孫達がその土地の例祭で太鼓を 叩いていると知って嬉しくなる。何でも良しだ、子供の頃にこうした行列、笛や太鼓などに関わったことが成人してからそのありがたさがわかるものである。
2.新しいお祭りを創り上げる
かって自治会長をしたとき、まちづくり構想の中に、お祭りと並行して伝統文化の笛、太鼓の保存会の結成を目指したものである。体系化して継承することは大事なことではなかろうか。
昔からの神社仏閣を中心としたお祭りや例祭はそのまま継承し発展させたいものである。日本人の心 と日本宝でもあるからだ。
一方、宗教的な行事と全く関係のない、住民、特に、子供を中心としたお祭りを創り出してもよいのではないかと思う。
お祭りと言うと、すぐにお金がかかるから止めよう言う。新しいこれからの時代は出来るだけお金をかけないで、新しい発想・やり方でお祭りを創り上げることであろう。新しい発想で新しい祭り文化を創りあげればよいではなかろうか。
その主軸は、まさしく町民全員参加と子供中心のお祭りを創り上げることにある。
担ぐ・引く・叩く・吹く・声を出すなどの諸動作を存分に体験させることであ.。大人は手助けをすることを通じて子供と大人が一体となるお祭りができれは良い。
やり方はいくらでもある。現職時代に全国各地のお祭りを見てそのような類いのものに出会ったこともある。
昨年、浜松市神久呂幼稚園の夏祭りで手製の神輿を園児たちが担いで本当に楽しそうであった。「あっこれだ」と思った。一例として、このような手製の軽い神輿、新しい時代を取り入れた笛太鼓などだ。若い人たちがアイデアを出せばいくらでも出てくるであろう。
これほど価値観の多様化した時代、少子高齢化時代にあって、新しいまちづくり、新しい伝統文化を築けないであろうか。老兵の夢であろうか。
《 平成26年6月 小國神社発行「玉垂」第41号、「舞楽・稚児の行列」による。森町は人口2万人程度の町であるが、小國神社の12段舞楽を含めて国指定重要無形民俗文化財の指定を受けた舞楽が三つあるとのこと。》
* このブログは、午前発信したが、夕方スマホで確認したら誤字脱字、さては作成途中のものになっていたので、思い出しながら再作成した。いつもながらどうも自分のスマホの取扱い不良によるものであろう。
1. 古代の森小國神社
去る6月25日は、静岡県袋井市の可睡ゆりの園、可睡斎参拝、ゆり膳についで、森町の小國神社を参拝した。
《 小國神社本殿 》
《 切り取られた老杉の大木、樹齢何百年の歴史を刻む。 》
《 鹿苑山香勝寺、山門にて仏像に接し、頭を垂れ手を合わせて境内に入る。 》
《 ききょうのつぼみ、ききょう園をいろいろな角度から撮ったがここでは省略した。 》
《 香勝寺・夫婦円満は誉めあう事、すでに金婚となった者としては「しかり」とうなずく。》
《 香勝寺・どんなものにも命がある。生きとし生けるもの皆命がある。人は生きていればいいことがある。 》
《 香勝寺・玄関は安らぎへの関所なり 通行手形は「ただ今」なり。現役時代を問わず、「行ってまいります」・「ただ今」まさしく最高のことばだ。 》