浜ちゃん日記 祈る・憩う・寛ぐ可睡斎

1,可睡ゆりの園

     静岡県袋井市の秋葉総本殿「可睡斎」は寺院,ゆり園ともに実に良く整備されており,さすが天下の可睡斎であると思った。

   可睡 ゆり園は,はるか昔訪れた時は,ゆりの増殖中で 整備途中であったと記憶している。当時と比較して見事なゆり園となっており、もう少し最盛期に来ればと惜しまれた。

   先週行われた今月の東部写楽会の合評会でも数人が可睡ゆり園の素晴らしい写真を提示し鑑賞してきただけに多少は目が肥えてきたようだ。

    素人から見ても、絵になる風景が展開し,心が華やいだ。小高い山の有効利用、広い斜面の最高の活用、構図配色よし,花色良しだ。

    まさしく「ゆり園」とゆり一本に絞り営々と増殖した手入れのよさが伺われる。多少でも広い面積のボピーやコスモスを手がけた経験からも「実によく出来ている」との一語に尽きる。毎年その時期になれば再び訪れて見たい場所である。  

     本格的にカメラを構える人々が多かった。続々と来訪者で賑わい人気が高いことにうなづいた。途中で小雨が降ったが風情があり最高のゆり鑑賞のひと時であった。

 

2.可睡斎のゆり料理

 火防総本山・秋葉総本殿「可睡斎」は、禅の寺・花の寺・味の寺で知られる。火防信仰千三百年の歴史と宗門六百年以上の伝統を誇る東海屈指の名刹・可睡斎は、秋葉三尺坊大権現様のご真躰を祀る祈祷道場として、また多くの雲水たちが修業する専門僧堂「禅の寺」として知られている。

 折角の機会であり、食事後可睡斎の諸堂を拝観できるということで、精進料理「ゆりの膳」を食することになった。季節ごと「味の寺」が用意されている。

 季節限定の「ゆり膳」は、百合根天ぷら等で動物性たんぱく質は一切使わず、野菜・野草・海草などでおいしい・身体にやさしいもので「医食同源」そのものであった。子供の頃から百合の根はよく食べたものであるが、旬の「ゆりの甘さ」を改めて味わった。

 

3.  可睡斎諸堂の拝観

 外から拝観するのと違い、拝観順路にしたがってねゆっくりと長い廊下をたどって内側からお寺の諸堂を拝観した。

    本堂(法堂)、僧堂(座禅堂)、大黒殿、御真殿(秋葉三尺坊)、開山堂、高祖廟(道元禅師)、大 東司(トイレ)、瑞龍閣、宝物館などの拝観であった。

 団体が多いのには驚いた。宿坊もあり、いくつもの広い部屋が連なっていたが管理の行き届いた「禅寺」そのものであることにうなづいた。

 長い歴史に培われた古刹可睡斎の中に、日本の伝統文化、日本人の精神、日本の宗教、日本の伝統建築、和食の根源が秘められていることを感じた。

 「可睡のゆりの園」も素晴らしいが、一歩足を運んでこの本寺「可睡斎」を訪れずして、「可睡斎に行ってきた」など言えないことを感じた。また、数年前、四国八十八か所を巡礼したことがよみがえった。いずれにもそこに「日本人の心」「日本の良さ」が宿っているからだ。心が満たされた思いであった。

 

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《 可睡のゆりの園、はるかに連なるゆり・ゆり・ゆりは見事である。 》

 

 

 

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《 可睡ゆりの園、あまりにもゆり・ゆりなので空と緑の大木を入れてみた。》 


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《 可睡のゆりの園、山の斜面が実に上手に生かされている。自然のなかのゆりがいきいきとしている。》 

  

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  《 可睡斎のゆり膳、生きとし生けるものを食させていただくからには、葉っぱ一枚、皮に至るまで捨てないで、無駄にしない。西洋にない日本古来の心が生かされた料理である。残すことなく全部をいただいた。りくつではなく、自然に手を合わせる気持ちが生まれる。》

  

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《 托鉢僧に思いを馳せた。何事も身支度等があって心構えができる。私はこんな情景が一番好きだ。》

 

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 正式な作法はできないが、自然体でしばし禅堂で無心となる。はるか昭和35年の青春時代、奈良の航空自衛隊幹部候補生学校の一泊研修に、京都府宇治市にある黄檗山万福寺で座禅を組んだことを思い出した。》

 

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《 可睡斎瑞龍閣の1階・2階には山口玲紀画伯(日展会員)の描いた襖絵や額絵が見られる。じっくりと見渡すとこの地の四季折々の花が描かれ、全部の襖絵を見て回ることになった。》  

 

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《 可睡斎の襖絵総ヒノキ造りの建物にそれぞれの部屋に会った襖絵が印象的であった。今や由緒あるところでしか見られず寂しい。絵心のない私でも周りの情景にあった立派な襖絵に接すると心が弾む。》

浜ちゃん日記  遠州の二山など訪ねる

    昨日今日と見物三昧であった。昨日6月24日は自分の車を運転し、家内と一緒に浜松の自宅から約30km離れた袋井市の厄除観音法多山尊永寺を参拝した。実際の経路は幹線でなく田舎道を通ったりしたので片道35kmぐらいであろうか。

    家内の記録によると、法多山を訪れるのは12年ぶりとなった。久し振りに車で遠出した感じであった。当時は毎週末に近隣の山に登ったりして行動的であったが、いつの間にやら行動範囲が狭くなり、回数が減っていることに驚くばかりだ。それだけ歳を重ねているからであろうか。

 今日6月25日は長男が仕事は休みなので、朝食時に、昨日の法多山の串団子を賞味しながら話をしているうちに、子供の車で「可睡斎のゆり」を見物して、「火防総本山・秋葉総本殿可睡斎」と「小国神社」を参拝しようということになり、家内と三人で出かけた。

  これが自分で運転となると、身体もきついが、お客様同然の同乗となるとハイキングのように気が楽だ。写真機もぶら下げて気に入ったところがあれば写真もじっくり撮りたいと思って出かけた。

 昔から遠江国(遠州)には、「遠州三山」と言われる、「法多山尊永寺(真言宗)」、「満松山可睡斎(曹洞宗)」、「医王山油山寺(真言宗)」の三つの古刹がある。遠州三山はかって何回か参拝したところであるが、このたび法多山、満松山可睡斎を再度訪れて思い出すことが多い。そのうえ、帰りに森町の日本三大ききょう寺でもある香勝寺の「ききょう」を見物した。

 次のブログで可睡斎・小國神社・ききょうについて認めてみることにした。

 

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 《 法多山参道をゆっくりと登ると苔の生えた石垣など歴史を感じる。季節折々の風景や建物を見ながら散策するといつの間にやら本堂に近づいていた。》

 

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《 石段を幾重にも上ると法多山本堂の屋根が見えた。左右対称で自然に調和したものに魅かれた。平日だというのに参拝者が意外に多いのに驚いた。》

 

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 法多山本堂、静かな境内を進み、国家安全・家内安全・病気平癒を祈願した。》 

 

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 法多山名物くし団子の由来、俗に「厄除団子」と呼ばれ親しまれている。150年以上の歴史があるだんごといわれ、訪れた方からよくおみやげとしてもいただくことがある。》

  

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 《  法多山の名物の厄除団子、何回食べてもご利益がありそうで一味違うものだ。団子といえば故郷鳥取県倉吉の小粒のまん丸い「打吹だんご」が目に浮かび食べたくなる。だんごにわが人生の思い出と重なる。》

 

 

神原町花の会・花美原会( 94 ) まちなかの花ライン形成( 16)

 まちなかを散歩していてこれだと思ったのでカメラに収めた。約20メ-トルの区間であるが、道路に沿った畑に一列に花を植えている家庭である。道路を通る人を意識した結果であろう。お金をかけないでちょっとした心遣いで、アガパンサスがまちなかの花ラインの形成に寄与している。球根なので毎年この時期になればさわやかな気分にしてくれる。

     花まちづくりの参加は、このようなほんの少しの心遣いで足りることの見本を見る思いがした。写真ではなかなか表現できないが、道行く人々にきっと「おっと」言わせるものがある。ありがとう。

 

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アガパンサス

浜ちゃん日記   地縁社会への仲間入り

1.その土地に惚れよ

 昨日6月22日(日)、小雨の中、浜松市西区神ケ谷町洞雲寺の清掃に出かけた。毎年2回はお寺の清掃活動が行われる。清掃場所が四か所あり、広いので地区別に担当し、ロ-テ- ションしている。今回は馬頭観音のある地域を行った。

 現職時代は自衛官の転勤族の一人として、全国の主要な航空基地に勤務するにあたって、「三惚れ」・仕事に惚れよ、土地に惚れよ、妻に惚れよを座右の銘としてきたものである。

   平成2年4月航空自衛隊を定年退官し、家内の生まれた地区に自宅を建設した。浜松を永住の地とし骨をうずめると決めたからには、その土地に馴染みそれなりの努力をしてみようと考えた。現職時代のことは地縁社会に入るにあたっては全く関係ないことであろう。地域社会に新入りするには、過去はきっぱりと区切りをつけて将来に向かって進んでいくことであると思った。

 

2.仲間入りの積極的な努力

 そこで、近くの洞雲寺の檀家にも入れてもらい、住職から指名されてお寺の世話人を3年間やらせていたただいた。その後、地域の自治会の役員、自治会長、次いでシニアクラブの会長などいろいろとやらせていた頂いたお陰で、ようやく地域の人となったといえそうだ。

 古い歴史のある地域であればあるほど地縁・血縁のつながりが強いだけに、その土地に馴染み同化するには、ややこしいことは抜きにして、お寺さん、お宮さんの世話人をしたり、自治会の役員、各種団体の役員、若ければPTAの役員、クラブへの加入と活動など積極的にその中に入っていくことが一番良い。

 地域になじんでくるとそうした機会は必ずやってくるものだ。そのチャンスを自ら放棄し避けていることを見聞すと残念な気がする。こうして自らの努力で築いていけばその土地の良さが分かり「土地に惚れる」ことになる。愛町心もここから生まれる。自分の住む町をさらに良くしたいという気持ちになる。そこに住むことが一層楽しくなってくる。

 

3.郷に入れば郷に従え

 檀家にとってお寺の行事、わけても清掃奉仕は総じて参加率は100%である。檀家であるから当然といえば当然であるが、この地域社会の特性であろうか、この種の作業は老若男女を問わない。決められた時間に確実に集合参加するから大したものだ。

 除草作業は、小雨の降る中で実施したが、朝8時から1時間であった。合羽を着ての作業だから大汗をかいた。本当に生真面目でみんな一生懸命に作業した。住職も先頭に立って作業指揮し効率的であった。

 こうした作業に参加することによってお寺を支える気持ちを確かなものにしていくのであろうか。先祖代々の墓を守る気持ちは、意外にこうした奉仕作業で受け継がれているのかもしれない。お金で処理するのではなく、世話役がいて、皆が奉仕していく体制は昔からのしきたりであろう。「郷に入れば郷に従え」とはまさしく至言である。

 底に流れるものは、特定の宗教・宗派といったものはなく、やらねばならない共同作業は積極的にやり遂げようとする良風であるように感じた。人間ゆくゆくはお世話になるところでもある。

 

 お寺さんの清掃奉仕

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浜ちゃん日記  わが家の草花

 6月22日(日)久しぶりに夜半から小雨が降り出した。しとしとといった小雨で大地に染みるには足りそうもないが恵みの雨である。そこで我が家の家周りの草花をカメラを通して観察してみた。植物にとって雨は太陽とともに最高の恵みであろう。

 

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《 玄関通りのベゴニア、鮮やかな色合いが足元から気分を晴れやかにしてくれる。》

 

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《 グラジオラス、自然のままにしたかったが支えがないと倒れるのでひもで両側から支えてやることにした。 》

 

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《 グラジオラス、一本一本を観察して見るとなかなか可愛い表情をしている。花の魅力はそこにありそうだ。 》

 

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《 ダリア、何本か咲いたが直ぐに目についた。ゆっくりと眺めてくれと言っているように見えた。 》

 

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《 黄色のユリと、白より視線が黄色に向いた。ユリといえば、子供の頃は、ヤマユリの球根を求めて山野を駆け巡った。》

 

 



 

わが趣味活動(9)  この世は助け助けられ

 

1.  世話役の存在

    今日は午前、東部写楽会の月例合評会が浜松市東部協働センターで行われ参加した。

   新年度は、役員も交代し、会長鈴木幸作氏、副会長伊藤守一氏、会計鈴木恵子氏を中心に会員12名で活動している。   

    本年4月からは、新改築されたセンターにも馴染み活動は上向きだ。鈴木幸作会長がこまめにクラブの世話を焼いてくれるので、会が円滑に運営されている。

    どんな組織にも大小に関わりなく、会長等の役員・世話役がいて積極的に役目を果たしてくれているものだ。

    東部写楽会では、世話役だけではなく、浜松写真連絡先協議会の丸井敏郎会長、新野秀幸副会長など多くの写真歴先輩方の指導があって成り立っている。

    これ全て、「多くの人の助力」によって組織がうまく動いて行く。世の中はこうした働きで成り立っているものだ。

   これに応えるには、積極的に役員・世話役に協力することではなかろうか。

    東部写楽会は、会員皆が実によく協力しあっている。会の雰囲気がとても良い。このためか会員も2名増えた。ありがたいことである。感謝の一語につきる。

    合評会も各人の写真について、いろいろとアドバイス・意見をもらう一方、具体的な事例で撮影の基本、技術、処理など着実に習得に努めている。何といっても楽しく笑がある中で合評会が進んだことは素晴らしい。

   合評会を通じて 、毎回、優れた写真ほど、撮った人の考え方・主張がよく出ていることに驚く、そこには表現に個性がある。なんとか少しでも近づきたいと思うが、実力が伴わないので足踏みしている。

 

2.動力機械と一体

    午後は夕方,管理機を動かし家庭菜園の畑を耕した。動力機械を使えば何百倍の馬力でしっかりと耕すことができる。古い時代の耕運機であるが、家内の実家のお古をもらい今日も役立っている。形式は古くても基本的な機能は今の機材と同じであり、わが国の機械の技術、精密さに門外漢の私も驚くばかりである。

 家庭菜園は、もっぱら家内が主役であるが、動力機械の操作運用と棚の構築などは私の分担であり役割をこなすことにしている。梅雨時で全国各地は雨が多くて困っているのに、当地は雨が少なくて困っている。そんなことで次に備えて土を耕し準備することにした。

 花の会で管理しているお花畑に至っては、コスモス種を蒔いたが雨が少ないので発芽が遅れている。自然はよくしたもの、近いうちに恵みの雨が必ずやってくるものだ。自然の恵みを受けるには、焦らず静かにその時期を待つのみである。

 それにしても、動力機械による威力はすごいものだ。動力機械の助力によってわずかな家庭菜園ながら短時間で耕すことができた。管理機の操作はかなり腕が上がっているが、人馬一体ならぬ「機械と一体」となって耕したら大汗をかいた。

 動力機械を使いこなすつもりが、使われたのかもしれない。それにしても機械を使いこなせないまでも、動力機械の力を借りて仕事ができた。毎日わが家の食卓に並ぶ新鮮な野菜、果物などの収穫物の一端を担ったことになる。汗して耕し収穫した自然の恵みに感謝する毎日である。

 毎日毎日いろいろなところで、自分が認識している、いないにかかわらず、人様だけではなく、自然界や機械にさえお世話になっている。私が終生、出来る範囲で、役立つことがあればやり続けたいとする信念・考えはここににあるように思う。「この世は助け助けられ」の人生ではなかろうか。「助けるときもあれば助けられることもある」、今どきはやりの「終活期」といえども、どれほどのことができるか分からないが、「助ける役割」を忘れては己が空しい。

浜ちゃん日記 普段の体調管理

    人間いつも体調が好調というわけにはいかない。天気の日もあれば雨の日もある。これが人生と言える。

    現役時代は、健康に自信もあり大きな病気もせず、自分に与えらた役割を果たしてきた。どんな無理でも身体が耐えてくれた。

     それがどうであろう.見かけは体格も良く、誰からも「色艶が良い」と言われるが、実体は見かけ倒しが多いようだ。歳も実年齢より若く言ってくれるが本当はどうであろうか。

     自分のことは自分が一番よくわかる。特に、普段の体調の保持は歳を取るに連れて大事なことである。

    調子の悪い時は、身体を休ませ無理をしないことであろう。休めばある程度回復してくる。

    世の中の仕組みもうまくできているものだ。個人差があるとは言え、一定の定年制度があるのも、なるほどと頷くものがある。

     自衛官の定年は、その職務の特殊性から一般と較べて若年であるが、後期高齢者となると、「歳相応」になってくるものだ。個人差があるだけである。

    ここ数日は、ゆっくりと静養したら気力と意欲が出てきた。今日の午後はシニアクラブのカラオケを楽しんだ。

    歌ってみると体調がよくわかる。声も出てリズムに乗れるようだったら当分大丈夫だと自己診断した。