11月8日エァフェスタ浜松2015(浜松基地航空祭)、前日のブル-インパルスの予行を家から眺めた。曇り空とはいえブル-の妙技が楽しめた。今朝は小雨が降る中、8時から町内の神原会館の清掃活動をした。婦人会とシニアクラブが共同で地域の会館を毎月一回清掃する日である。
エアフェスタには、10時ごろ基地に到着したが、既に多数の来場者でにぎわっていた。小雨とはいえ、タイムスケジュ-ルどおり諸行事は進められていた。
何といっても航空基地のお目当ては、「ブル-インパルス」の飛行である。ブル-インパルスの発祥の地は浜松である。今年は、この浜松で初めて公式展示飛行を行ってから55年目にあたる。当時、浜松基地に勤務していたので記憶に鮮明である。
私の同期である航空自衛隊第1期操縦学生淡野徹君、西村克重君、藤縄忠君の3名がブル−インパルスチ−ムの5名の中に選ばれ、昭和39年10月10日東京オリンピック開催初日、メインスタジアムである東京代々木国立競技場上空の青空に、歴史に残る見事な五輪のマ−クを描いてから半世紀以上が経った。また、ブル−・インパルスの在籍期間の長かった村田博生君は、航空ジャナリストとして航空雑誌に健筆を振い航空ファンなら知らぬものがないほど有名である。今日も壮健な4名の顔が浮かび、ブル−・インパルス機の雄飛と重なった。
(2013-06-07 航空自衛隊第1期操縦学生(2)! 翔ける群像! 第1期操縦学生の軌跡! 参照)
祝賀会食が終わった後、ブル−インパルスの発進から帰投までじっくり見学した。各飛行についての放送ではパイロット等の紹介があり、航空自衛隊の操縦者の主力は航空学生出身者で占められていることを実感した。老兵たる元1期生出身の一人として誇らしいものがよみがえった。ブル−インパルスをはじめ全飛行の無事を祈った。
ブル−インパルスの妙技は、全観衆を魅了し、広大なエプロンf人・人・人で、上空をさえぎるものがないが、地上は人の頭・頭・頭で前方が見えず、わずかな隙間から写真に収めた。ブル−インパルスを含めて全飛行ができたことにより、エァフェスタ浜松2015は大成功であった。
エプロン地区ではペトリオット・炊事車・軽装甲機動車・消防車・対空機関砲を、各格納庫では、部隊紹介・航空機模型展示・装備品等地上展示などを見学し往時と比較して回った。
所定の地点には警備要員等、舞台裏を支える支援部隊が配置され黙々と任務を遂行する隊員に接して頭を垂れ感謝した。エァフェスタ浜松2015は、浜松防衛団体連合会長大須賀正孝氏の挨拶にある「この国を守る翼で魅せる一日」であった。主催者の第1航空団司令兼ねて浜松基地司令平塚弘司将補の「ブル−インパルス誕生の地、浜松基地で実施されるブル−インパルスの整斉とした飛行」を楽しむことができた。
《 来場者の多数がブル-インパルスの雄飛に魅せられてシャッタ-を切っていた。ファインダ-から覗くブル-は一瞬であるが、カメラに収めるといつまでも楽しめる。》