航空自衛隊第1期操縦学生(2)!  天翔ける群像! 第1期操縦学生の軌跡!

 航空自衛隊第1期操縦学生には、実に多くの逸材がいた。昭和39年10月10日東京オリンピック開催初日、メインスタジアムである東京代々木競技場上空の澄み切った青空に、見事な五輪のマ−クを描いたブル−・インパルスチ−ムの5名中3名は1期生淡野徹君、西村克重君、藤縄忠君であった。

 次いで、ブル−・インパルスの在籍期間の長かった村田博生君は、航空ジャナリストとして航空雑誌に健筆を振い航空ファンなら知らぬものがないほど有名である。

 操縦現役組は飛行隊長、防衛部長、将官の航空団司令、操縦以外の現役組は隊長や航空機整備等の各分野で神様的存在といわれるほどの重鎮となり、創設期・建設期の部隊戦力の中核となった。
 民間転進組は、民間航空会社の重役、国際線等の機長、会社を興した社長、大学教授、牧師等々多士済済の人材が輩出した。

 航空自衛隊第1期操縦学生の軌跡については、1期生が執筆した著書は、以下の四冊がある。いずれもそれぞれに特色があり、内容が充実し、第1期操縦学生の歩みを余すことなく記録している。まさに操学1期に関する第1級の貴重な資料となっている。

「天翔ける群像・第1期操縦学生の軌跡」! 徳田忠成編!
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 徳田忠成君が編集した 「天翔ける群像・第1期操縦学生の軌跡」は実に見事にわれわれ1期生の軌跡を、膨大な資料収集とち密な分析整理、同期生の回想・記録をもとに編集した162ペ-ジの力作である。
 操縦学生制度、操縦学生基本課程、基本操縦課程、実施部隊、民間航空への移行、航空事故と殉職者、思い出の記録および、航空自衛隊航空学生50年史と体系的に編集されている。
平成17年8月出版社「ジョス」から発行された。

 元航空幕僚長.統合幕僚会議議長杉山蕃氏は「巻頭言」で、「雄々しき男達」と題し、操学1期の功績として三点を挙げ、①我が国の空の防衛を支えた実績、②「1期」の役割を見事に果たした、「操学魂]と「伝統」を残してくれた。③政策に翻弄されながら、雄々しく生きた集団であった。
徳田君の労作に対して賞賛の言葉を贈っておられる。
 同君は、戦闘機部隊勤務を経て、日本航空へ入社、査察機長等として活躍した。


 「大空にかけた青春・航空自衛隊第一期操縦学生の軌跡」! 石井義人著!

  「大空にかけた青春・航空自衛隊第一期操縦学生の軌跡」は、石井義人君が希望と夢を描いて全国から集まった熱き心の軌跡を綴り、戦後日本の青春群像を認めた記録である。
 入隊、区隊、勤務学生、座学、宿舎、外出、非常呼集,教練、体育、不寝番、飛行訓練等を克明に記録した159ペ-ジの力作で、夢と希望に満ち、光り輝く若者達の姿が実に克明に描かれている。

 平成17年5月「碧天舎」から発行された。「あとがき」で、石井君は、振り返れば、人生の坂道、危機をのりこえた原動力は、基礎課程で培った体力や精神力、1期生の誇りであったと記し、私たちの人生の出発点が描かれている。
 これからも夢をもちつづけ、一隅を照らし続けることに挑戦するであろうと結んでいる。
 石井君は、飛行教育部隊で操縦教官を経て、日本航空へ入社機長として活躍、南西航空等で飛行教官をした。

  「大空の仲間たち」! 高橋 正著!

「大空の仲間たち」は、高橋正君が航空自衛隊での体験のうち1期生(故人を含めて)にスポットをあてて、主として自衛隊の修業時代および戦闘機部隊勤務時代のことを随筆調に記述している。入校50周年の平成17年8月作成、平成24年8月第4版、96ペ−ジの非売品。
 発刊に寄せて1期生で将官に昇進し団司令を歴任した菅原淳君と航空ジャナリストの村田博生君の二人が私たちの青春そのものの軌跡だとし、これからパイロットを志す子弟にも読ませたい小冊子だと賞賛している。
 高橋君は、戦闘機部隊勤務を経て、日本航空に入社し機長として活躍した。

 
『ファイターパイロットの世界 ターボと呼ばれた男の軌跡』! 村田博生著! 

村田博生君の「ファイターパイロットの世界 ターボと呼ばれた男の軌跡」は、文字通り同君の航空自衛隊における戦闘機パイロットとしての軌跡を通して、村田流独特のきめ細やかなタッチで知られざる飛行機の世界を語っている。 

 村田君は、現役操縦組の一人、皆から 「ターボ」と親しまれ、入隊以来T‐33、F‐86F、F‐104J、F‐4EJの操縦及び操縦教官を務めた。昭和40年から44年までブルーインパルスで後尾機と単独機を担当。航空自衛隊の戦闘機パイロットとして防衛運用の要となって創設期からその発展に努め、平成2年3月1等空佐で定年退官した。

 退官後の活躍は目覚ましく、航空ジャーナリストとして航空雑誌に健筆を振い、航空フアンにとってはあこがれの一人である。
また、米国での「隼」の復元作業、米空軍博物館での「紫電改」の修復作業の協力、ブル−インパルスのPRなど八面六臂の働き、好きな飛行機に関係した活動を続けている。
 
 「操学1期」と呼ばれた男たちの評価!
 本年6月2日第1期操縦学生は、入隊58周年を迎えた。
 昭和30年6月、操縦学生制度の発足に伴い、難関を突破して航空自衛隊に入隊した「第1期操縦学生」は、「我が国の防衛政策に翻弄されながらも、ひるむことなく、たくましく、雄々しく歩み続け、立派な足跡を残した誇り高き男たちであった」と高く評価されている。


 戦後の混乱がようやくおさまりつつあったった昭和30年6月、将来のジェットパイロットを目指すという青雲の志を同じくした若人が周防の国・防府基地に入隊、「操縦学生基本課程」をおおよそ10ケ月学び、翌31年3月卒業した。希望に燃えて巣立った若人187名にとって予想だにしないさらなる試練が待ち受けていたのである。

 次の各操縦課程における飛行訓練途中でエリミネイトされた同期生は5割以上と厳しいものがあった。今では考えられない淘汰率であった。半数以上の同期生が、当初の志とは別の人生を歩まざるを得なかったのである。
入隊時の選抜試験で基本的な飛行適性検査に合格したものであるが、創設まもない航空自衛隊にとって飛行適性は深刻な問題であった。
 
 
 厳しい関門を突破して あこがれのウイングマ−クを取得した同期生90名であった。そのうち、大半は民間航空へ移った。昭和47年から自衛隊パイロットの割愛による民間航空への移行が始まり、第1期生は日航へ40名(地上職2名)、全日空14名(地上職1名)、東亜国内6名(地上職2名)、航空自衛隊に残って定年退職した同期生は71名でパイロット24名、操縦以外47名であった。1期生は防衛庁出身パイロット一緒になって、運航、訓練、審査組織の中枢に深く浸透して活躍した。まさに日本の空の運航基盤を創ったともいえる。
 
 一方、航空自衛隊パイロットとして操縦者の道を歩んだ者は、戦闘機部隊、飛行教育部隊、輸送機部隊および救難部隊等の戦力の中核となって活躍した。新機種導入の米留・教官要員に多くの者が選ばれ、航空自衛隊の新編部隊建設および戦力充実の牽引力・推進力となった。歳とともに飛行隊長、防衛部長、部隊指揮官となっていった。航空自衛隊を定年退職した現役操縦者は27名であった。

 操縦適性で操縦免となった1期生は、自衛隊を去って全く別の道を歩んだ者もいたが、ほとんどが航空自衛隊にとどまった。航空自衛隊を定年退職した者は47名であった。

 操縦学生を免ぜられたエリミネ−ト組につて、定年退官までの道のりは厳しかったが、時あたかも、航空自衛隊は創設期にあり、あらゆる分野で柔軟性に富む優秀な若手を必要としていた。広い世界が待っていたのだ。
 荒武者たちにとって、いばらの道であり、自力で切り開かなければならなかったが、操縦の分野で果たせなかった能力を十二分に発揮できる場があったのである。

 一般部隊に配置となった多くの1期生は、部隊勤務をしながら空曹昇任試験に合格して、3等空曹に昇進し、大部分の者は、次いで一般幹部候補生(部内)選抜試験に合格し、所定の幹部課程を卒業して幹部の道へと進んでいった。
 幹部への道を選ばなかった者はそれぞれの分野で実力を発揮し、部隊にとってなくてはならない存在となり、その道の神様的人材として活躍したことは特筆に値する。

 その時代背景には、昭和29年7月発足した航空自衛隊の最大の急務は、その中心として任務遂行に当たる航空機1,300機、33飛行隊の編成という防衛力整備構想に沿う、操縦者の養成であった。早速、5カ年計画が策定され、この間、実に2,000名ものパイロット養成が計画された。

だが、その後、防衛計画の変更により、実に13個飛行隊に激減、「パイロット過剰」の現実と直面した。折から大量の操縦者を必要とし出した民間航空の発展と相まって割愛制度が発足し、残るもの、転進を図るものに二分された。

 第1期生は、戦後派パイロットの先達として、航空自衛隊の航空戦力の中核となったを始め、官民の航空界に深く浸透し、戦後の日本の航空史の1ペ−ジを切り開いたといって過言ではない。

 第1期操縦学生万歳! それぞれの場で役割を果たした満足感と誇り!
 こうした激動の時代を乗り切り、平穏な日々を過ごす今日、わずか10カ月間の操縦学生基本課程であったが、同じ釜の飯を食い、喜怒哀楽を共にした同期の結束は今日もゆるぎないものがある。2年後には航空自衛隊入隊60周年を迎え、多くの者が80歳となる。去来するものは、それぞれの場において第1期生としての役割を果たしたという満足感と誇りである。
 その核心を突くものがすべてこの四著のなかにある。
 
  四君の著書のうち、「天翔ける群像・第1期操縦学生の軌跡」「大空にかけた青春・航空自衛隊第一期操縦学生の軌跡」および「大空の仲間たち」は、1期生会の事業として、平成24年から25年にかけて、1期生の軌跡を後世に残すとともに志半ばにして殉職した英霊に捧げるため、三君から著書の提供を受けて、関係先に贈呈した。浜松基地の航空広報館、資料館および防府北基地の航学顕彰館、図書室等へ置いていただいた。
 村田君の「ファイターパイロットの世界 ターボと呼ばれた男の軌跡」は、すでに広く各箇所に出回っており寄贈が省略された。