86歳老いる雑感(192 ) 日々老いを重ねていることを感じる

 今日午前、夫婦で神原町花の会が管理する花畑の除草作業に出かけた。明日・日曜日、午前8時から花協同活動で、コスモス畑にコスモスの種まきが予定されているが、明日は妻の第2回目のワクチン接種で参加できないため、夫婦して前日の同時刻に出かけて花畑の通路の雑草取りをした。

 草取りで気がついたことは、両脚を折って屈んだ状態から一気に起き上がると軽い目眩が起きるようになったので、別の作業をすることにした。

 そこで、意識して立った姿勢で鍬を使った作業に変えた。草取りをするのではなく、草取りをした後を整地する作業にした。こうした作業であると、特に負荷もかからず、立ちくらみもなく、何も起きなくなった。

 立ちくらみは、心房粗動で手術を受けて以来、全くなかったが、その後歳を重ねるにつれて、膝をついたり、屈んだ状態から急に起き上がったり、屈んだ姿勢で重いものを持ったり、一気に動かしたりすると、たまに軽い目眩が起きるようになった。

 これらは心臓や血流に負荷がかかることに起因するものであり、用心をすることにしている。

 今まであまり歳のことなど気にしたことがなかったが、徐々に体力、身体の機能などあらゆる面で衰えを感じ、老いを自覚することがある。

 こうしたことは、86歳にして当たり前であろうが、自分で感じるようになったことが、日々刻々と老いている証でもある。

 これが老いる自然の成り行きと言うものであろうか。自然の摂理には、敢えて逆らわず、構えず、受け入れることが一番座りが良い。