昭和63(1988)年 7月1日、航空自衛隊調査隊本部に登庁し、着任行事を終えて、翌日から副司令として落ち着いた勤務が始まった。
副司令としての地方調査隊の初度視察及び業務観察官として、着任以来1年間に、7月入間を皮切りに、8月三沢、9月木更津と、21個部隊中12個部隊・基地を訪問した。退任までにほぼ全部隊を訪問することとなった。
時は、昭和天皇のご不例から大喪までの基地警備、部隊保全に関し、東京及び熊谷地方調査隊の活躍は目覚しいもがあった。昭和天皇は昭和64(1989)年1月7日 崩御された。当時の日記に貼り付けられた読売新聞の記事は次のように報じた。新しい御代は元号・平成となった。
また、平成元年7月には、調査隊20周年記念行事の準備及び実行委員長として、式典当日は部隊指揮官、創設20周年記念「20年のはつてん」の編集発行の任を果たした。
隊本部には、企画科長兼総務科長2佐栁葉繁、運用科長2佐厚味洋五郎、技術資料科長3佐小林賢司の優秀な人材が配置されていた。
1 日常の執務室
2 定期便YS11利用による部隊訪問
3 昭和64(1989)年1月7日読売新聞号外