昭和の航空自衛隊の思い 出(281)  航空自衛隊のウイングマ-クと初の取得者

1.  航空自衛隊のウイングマ-ク

❶ 航空自衛隊初のウイングマ-ク取得者

 航空自衛隊最初のウイングマ-クは、昭和29年11月30日R-1操縦学生13名T-6卒業者に上村航空幕僚長から授与された。

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《 「航空自衛隊20年表」出典 》

 

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《 「航跡 空の守り20年」(昭和50年3月・朝雲新聞編集局発行) 出典 》

 

❷ 操縦士用の航空き章(ウイングマーク)の制定 

    航空自衛隊で、昭和32年2月1日操縦士用の航空き章(ウイングマーク )が制定された記録されている。 

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《 昭和32年2月1日操縦士用の航空き章(ウイングマーク )が制定されたと航空自衛隊20年表は記録している。》

 

❸ 航空学生顕彰館に設置された特大の「ウイングマ―ク」 

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《 航空学生顕彰館に設置された特大の「ウイングマ―ク」、第1期操縦学生は、創設期の苦難を乗り越えて、90名が「ウイングマ―ク」を授与されてパイロットへの道を歩んだ。 》 

 

❸ 第1期操縦学生初のウイングマ-ク取得者9名

 「天翔ける 群像・第1期操縦学生の軌跡」(平成17年8月発行)の大著を編集した第1期操縦学生の徳田忠成君は、同著書の中で第1期操縦学生初のウイングマ-ク取得者9名について、次のように記録している。

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 「悪戦苦闘の末ねようやくプロ・パイロットの証である、ウイング・マ-クまで辿りついたのは、第1期生で総計90名、防府基地の基本課程卒業者の半分以下に減っていた。晴の卒業式で、ウイング・マ-クをありがたく押し頂いた感激は、今でも忘れないが、その時の学校長の顔には後光がさしていた。」

 「昭和32年12月20日、第1期操縦学生で初のウイング・マ-クを取得したのは、黒田功、西村克重、淡野徹、藤縄忠、松山幹夫、吉村理男、高田芳秀、小泉博(故人)、鶴野平(故人)の9名であった。戦後初の高校出身ジェットパイロットであった。

 この日、彼らは晴れやかなウイングマ-クを制服の左胸に、秋山空幕副長臨席の第1回卒業式に臨んだ。そして大室孟第3操縦学校長の祝詞とともに、T-33Aジェット練習機課程卒業証書を手渡された。防府の幹部学校入隊以来、2年6ケ月間が経っていた。小泉君は、そのままT-33教官として残り、他の8名がF86Fへ移行した。

なお、9名の内黒田、西村、淡野、藤縄、松山、吉村君の6名、のちに日本航空機長として活躍した。」とある。

 西村克重、淡野徹、藤縄忠の3君は、かの有名な感動のシーン、全国民が注目した東京オリンピック会場の東京代々木国立競技場上空に五輪のマ-クを描いた「伝説の人」と現代では言われている。 

 

2.    第1期操縦学生の「まぼろしのシンボルマ-ク」 

 創設期の航空自衛隊のシンボルマ―クにまつわる余話が一つである。 

 昭和30年6月航空自衛隊第1期操縦学生約200名が入隊した。教育訓練も進む中で8月夏季休暇で家に帰るときには、「操縦学生き章」的なものを着けて帰省したいとの強い声が湧き上がった。熱望の背景には、学生の自主積極的な発想と馬力で、写真のような刺繍の「ウイングマ-ク」のようなものを胸に着けて、颯爽とした雄姿を親や同級生に見せようと若い学生は考えたように記憶している。

 操縦学生制度が6月発足したばかりであり、操縦学生に関する任用教育等訓令がスタ-ㇳ後の7月に発出されて間もない時期であった。積極進取にして創造力に富み元気溌剌たる若者集団は、勝手にシンボルマ-クを作り上げた。

 デザイン等は同期の有志が話し合って決めたようであるが、誰の発案であったか記憶にない。出来上がったのが下の写真のような刺繍「ウイングマ-ク」的なき章というか、シンボルマ-クであった。学校当局に着用したいと申し出たところ、当然のことながら制服に着用することはできないとのお達しであった。

 今から考えると、当時、19歳前後の青年たちにとって大空に羽ばたく若鷲のシンボルマ-クをつけることは憧れであった。今日の刺繍技術からすれば、子供じみた幼稚で簡単なものであったが、戦後10年にしての社会情勢からすれば大したものであった。

 この第1期操縦学生基本課程における学生自作の「操縦学生マ-ク」は、陽の目を見ることなく「まぼろしのシンボルマ-ク」で終わった。 多くの学生は、ジェットの課程に進み、本物の「ウイングマ-ク」を胸につけることになっり、その感慨は想像を絶するものがあった。

 時代が過ぎて、航空学生制度が充実してからは、「航空学生き章」が制定された。

まさに、第1期操縦学生が自ら作りあげた「まぼろしの操縦学生シンボルマ-ク」であった。

 

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《 昭和30年7月ごろ第1期生の誰かの発案で作成したものを1個づつ購入した。よほど気に入ったものと見えて、遥か60年余前のアルバム帳に張り付けられていた。学校当局の許可を受けたものではないが、同期生の才のある同期が集まってつくりあげたものであろう。憧れの「ウイングマ-ク」を模倣したものとも考えられるが、現在の航空学生教育群のシンボルマ―クにもその発想がどことなく生きているようで、いつの時代考えることは同じであると思った。》

 

3.航空学生き章 

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《  「航空自衛隊20年表」出典 》 

 

4. 航空学生教育群のシンボルマ-ク  

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《 航空学生教育群のシンボルマ-ク  》